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歴音12.お人形は 人を幸せにする(私のお人形・2)



「ひなまつり」の日がやってきました!
今回のコラムは、昨年のコラムを加筆修正して掲載させていただきます。

第1回「ぼんぼりの灯は照らす」では、「ひなまつり」の発祥、「ひなまつり」の中にある願い、歴史的変遷、紫式部の「ひな遊び」などを書きました。

今回は、「私のお人形」シリーズの第2回です。
連載は 4~5回の予定です。


◇願い

私のお気に入りの、数年前のCMがあります。
この女の子の表情を見ていると、思わず、願わずには おられなくなります。

子供たちの それぞれの才能はもとより、まずは戦争や災害に巻き込まれることなく、健やかに、元気に、幸せに、成長していってほしいと願いたくなります。
素晴らしい映像作品だと思います。

表情が才能を生み、才能が表情をつくるのかも…。

CM

 

「ひなまつり」の日は、女の子たちはもちろん、すべての子供たちの未来が、幸せに満ちた 明るい世界であることを願いたくなります。

子供たちには、今、たとえ厳しい境遇にあるとしても、せめて、3月3日くらいは、笑顔でいてほしい…。

* * *

ここで一曲…。

「ラグ・ドール(Rag Doll)」とは、「ぬいぐるみ」のこと。
猫の品種「ラグドール」も、この言葉が由来。

歌詞・メロディ・サウンドが ピッタリの大ヒット曲!
フォー・シーズンズ
♪悲しきラグ・ドール(1964・昭和39)

 


◇小さな「ひなまつり旅」

数年前に、とても興味深く読んだ「ひなまつり」のブログ内容を、ここでご紹介させていただきます。

3月3日に、茨城県の ある母と幼い娘の二人が、街の「おひなさま巡り」をしたという内容でした。
これは、茨城県桜川市の真壁地区でのお話しです。

この地区は、古民家などが集まる地域で、昔懐かしい古い街並みが残っています。
この地域では、毎年 ひなまつりの時期に、古くからある大きな「ひな段飾り」や、ひなまつりの装飾などを展示し、多くの方々に見学できるようにしています。

そのブログ内容は、ある母と幼い娘が、二人だけで、その「おひなさま」たちを見て回るという「母娘の小さな ひなまつり旅」でした。
素晴らしい風景写真の連続でした。

* * *

私が子供の頃の昭和の時代は、家に大きな「ひな段飾り」がある家は、それほど多くはありませんでした。
当時から、相当に高額な「ひな段飾り」です。
昭和の ある時代までは、お金持ちの家の「ひな段飾り」を、わざわざ見に行く女の子は多かったと記憶しています。

今のような、コンパクトサイズの「ひな人形飾り」や、お内裏様だけのものなどは、昔はそれほど なかったと思います。
市松人形も、高価なものが多かった気がします。

当時、普通の家庭の女の子たちが、親に「ひな人形を買って…」と親に言えるはずもありません。
まして「ひな段飾り」などは、夢のまた夢でした。

* * *

今、昭和の時代のある時期のような、格差社会がまたやって来ました。
今の世の中の、各家庭での「ひな段飾り」の所有状況はよく知りませんが、もし家庭に「ひな段飾り」がなくとも、地域の街のひな段飾りを見て回る「ひな人形巡りの小さな旅」は、とてもいい思い出になりそうです。

「ママと私(娘)の ひな人形は、あの古民家に毎年飾られる、あの おひなさま!」… 私は、それでもいいのだろうと思います。
「ママと私は、乗り越えられるわよ!」。

それに、知らない誰かが、毎年しっかり飾り付けと、管理保存をしてくれていますね。
家庭で「ひな段飾り」をセットしたり、片付けたり、保管することが、どれほど たいへんか…。
相当な情熱がないとできない気もしますね。

何段もの豪華な「ひな段飾り」でなくとも、「お内裏様」だけ…、数人のお人形だけ…であっても、決して 親の思いに格差があるものではないだろうと感じます。

* * *

子供のいない夫婦でも、昔持っていたひな人形を手放した方々でも、十分に「ひな人形巡りの旅」を楽しめると思います。

一年に一度、その日だけの「小さな ひなまつり旅」というのが あってもいいのかもしれませんね。

この母娘が、毎年、こうした旅を行っているのかどうかを、私は知りません。
家庭に「ひな段飾り」があるのかどうかも知りません。

でも、この母娘にとって、忘れられない思い出の旅になったのは、間違いないだろうと思います。

そして何十年後かに、この母娘が同じ場所を二人で訪れてほしいものです。
その時も、いつかの「ひな段飾り」が、どうか迎えてほしい…。

なにより私自身が、ネット上のブログとはいえ、小さな「ひなまつり旅」をさせてもらえたことは、とてもうれしいことでした。

一年に一度の「ひなまつり旅」…とても ひいな!

* * *

茨城県桜川市真壁地区の「ひなまつり」

 

私は、平成15年から始まった「真壁のひなまつり」を知ったことで、桜川市という存在を知ることになりました。
まさか、筑波山のふもとの、早く出発すれば 東京からでも日帰りできる場所に、こんな素敵なところがあったとは…。


◇ひ~なさま 見しとくれ

さて、次のお話しです。

岐阜県の高山市や下呂市などの一部地域には、今でも、3月3日に面白い風習が残っています。
「がんどうち(強盗打ち)」と呼ばれる 昔からの風習で、男女の子どもたちが、自分が暮らす地域の「ひな飾り」をしている多くの家々を回り、「ひ~なさま 見しとくれ」と言って、各家のおひなさまを見せてもらい、家主から お菓子をもらうという内容です。

まるで、ハロウィンの日に、お菓子をもらうために、子供たちが家々を回る行為に似ていますね。

「がんどうち(強盗打ち)」という名称は、「盗み取り御免」という意味だそうです。
ひな飾りのある家を子どもたちが訪ね、「お菓子やごちそうを、自由に持っていっていいよ」という意味なのだそうです。
ハロウィンの時の言葉「お菓子をくれないと、いたずら しちゃうぞ」にも似ていますね。

ある意味、地域の人たちの交流・子育て・教育・治安にも効果を発揮しそうな風習行事です。
「ひなまつり」を、地域のすべての子供たちが味わうことができますね。

地域の大人たち全員が、子供たちを把握し、子供たちを守ることにつながるかもしれません。
「あの時の、あのお菓子をくれた おじいちゃんですね…」
「あの時の、ひな人形の折り紙をくれた、あの女の子か…」

今は、各家だけでなく、公民館や商店なども回るそうです。
心に残りそうな、とても素敵な風習行事ですね。
これからも、残っていってほしい!

 

 

 

ハロウィンの時に、お菓子をもらう行事が大都市でできるのなら、これも大都市で、できるのでは…?
都会にある、たいていの歴史関連の博物館では、この時期に「ひな人形」が飾ってありますよね。
「ひ~なさま 見しとくれ!」
「ねえ、おじさん… お菓子は、どこにあるの…」


◇お人形と ともに… とものうら

ここからは、広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」の「ひな人形」です。
なんと、高さ70cm超のおひなさま…。
ちょっとした人間の子供のよう…。
鞆の浦では、ひなまつりの時期に「鞆・町並ひな祭り」という街をあげたイベントを行っています。

前回の第1回コラムの中で、ひなまつりの原型は、「ドールハウスごっこ」だと書きましたが、下記映像には、まさに天皇が政務を行う紫宸殿(ししんでん)を模した建物が登場します。

 

10年ほど前の映像ですが、「鞆の浦」の「ひな人形」です。
もはや、「ひな人形」は、国籍も、衣裳スタイルも、人間かどうかも関係ない…。
各国の言葉は必要ありません!

 

* * *

広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」は、歴史ファンには、日本史の中で、特別中の特別の街ですね。

「鞆の浦」は、古代から大和政権時代の日本の大繁栄地のひとつであった倉敷周辺からも近く、今の福山市中心部から、ほんの少し西の、瀬戸内海に出やすい岬の先端にある小さな街です。

ここからは瀬戸内海を広く見渡せ、四国にも広島にも、船で行きやすい場所です。
軍事的に、瀬戸内の覇権という点でも、非常に重要な拠点のひとつです。

日本史の中で、「鞆の浦」を重要拠点とした、日本の首都(皇居のある都市)が福山の地に生まれていた可能性も十分にありましたね。
今は、趣きのある風情を残す、静かな「鞆の浦」です。
この風景を壊したくありません。

* * *

ここで、鞆の浦の「ひなまつり」を歌った楽曲をご紹介します。
福山を中心に活動されているシンガーソングライター「Naoko(なおこ)」さんの作詞作曲した楽曲です。
♪鞆の浦ひな祭り

 

♪鞆の浦ひな祭り

 


◇「鞆の浦」の伝説

Naokoさんには、鞆の浦を描いた、もうひとつの素敵な楽曲があります。
楽曲「ささやき橋の伝説」です。

鞆の浦には、「ささやき橋」という小さな橋の遺構と、ある伝説が残っています。

* * *

瀬戸内海に突き出た岬の地域にある「鞆の浦」の周辺は、たくさんの大小の島が連なる地域で、本土の陸地近くでは、小さな橋がかけられ、小島が橋でつながっていたようです。

その伝説は、応神天皇の時代のお話しです。
応神天皇は、15代天皇で、西暦200年代あたりの天皇です。
ですから、今から1800年ほど前のお話しです。

応神天皇は、音楽などの芸術にも造詣が深く、朝鮮半島のひとつの国「新羅(しらぎ)」から日本にやって来た外交船が大阪湾で火災炎上した際に、死者を弔うために、焼け残った材木で琴を作らせ、鎮魂慰霊の音楽セレモニーを行なった、あの天皇です。

当時、朝鮮半島では新羅と百済(くだら)が争っていましたが、それぞれ両国から、日本に外交船がやって来ており、非常に微妙な外交を行っていた時期です。

* * *

伝説では、応神天皇の時代に、百済よりの使節を接待する役職の高級官僚である「武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)」が、接待用に踊りを披露する「踊り子」の女性の「江の浦(えのうら)」と恋仲になってしまい、この「ささやき橋」で密会を重ねていたという内容です。

つまり、当時の日本の重要外交拠点である福山の「鞆の浦」のあたりに、百済からの使節団の大型船が頻繁に来ていたということです。

南北朝時代に天皇が…、室町時代には将軍が…、この「鞆の浦」の地に拠点を作った理由は、まさに軍事的・外交的に重要な地であったためです。

* * *

前述しましたが、この「鞆の浦」の少し東には、倉敷を中心とした吉備国(岡山県)があります。
古代より一大勢力がいた繫栄の地で、奈良時代には、政治家・外交官・学者である吉備真備(きびのまきび)も輩出されましたね。
真備が琴を弾いたであろう有名な場所「弾琴岩」もあります。

瀬戸内海を挟んで、四国には琴平、岡山には琴弾、倉敷の西には、今の福山市の中心部があり、ここは今でも楽器の「福山琴」の産地です。
瀬戸内海を挟んだ、この地域は、まさに「琴の聖地」ですね。

今現代の琴の主な製造地は、東京、金沢、福山ですが、材料の「桐(きり)」の木は主に東北で採取されます。
当時の琴の大消費地(需要)は、主に京都や奈良など政権のあった畿内(関西)や、吉備国(岡山県)や九州北部だったはずです。

福山は、意図的に産業として琴製造を発展させた場所ですが、単に産業誘致ということだけだったとは思えません。
当時から音楽文化と先端技術産業が培われる環境が整っていたのかもしれません。

倉敷や福山あたりは、大昔から重要な港が多く、おそらくは多くの渡来人と日本人がいたと思います。
古くから、朝鮮半島から多くの文化や芸術が伝わり、発展していた地域であったのは間違いないと思います。

後に、源平合戦の勝敗の分かれ目になったのも、この倉敷あたりでの海戦です。
多くの日本の軍船や、外国からの船がやって来て停泊していたのは間違いないと思います。

また再び、この地が、日本外交の中心地になる日が来るかもしれませんね。
瀬戸内は、日本の宝です!


◇あなたと ともに…、ともの裏側

前述したとおり、伝説では、応神天皇の時代に、百済よりの使節を接待する役職の高級官僚である「武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)」が、接待用に踊りを披露する「踊り子」の女性の「江の浦(えのうら)」と恋仲になってしまい、この「ささやき橋」で密会を重ねていたようです。

伝説では、奈良の中央政府から派遣された若い高級官僚と、接待用に手配された女性の踊り子という関係だと述べられています。

伝説の中の二人は、まさに身分や立場としては、「禁断のカップル」といえますね。

* * *

実は、この「鞆の浦」以外にも「ささやき橋」という場所が日本各所にあり、そこも、中央政府から派遣された高級官僚と地元の女性の禁断の愛の伝説が残っていたりします。
「ささやき」とは、本人たちの ひそひそ話なのか、周囲の者たちの声をひそめた噂話なのか、よくわかりません。

* * *

「鞆の浦」の「ささやき橋」の伝説では、この男女カップルの密会が発覚し、二人とも海に沈められたとされています。

詳しい事情が、まったくわかりません。

ここからは、歴史研究家の端くれとして、少し想像と推理で書きます。

夜になってから、人目を避け、男女が密かに顔を合わせているということは、今現代でも、よくある話しですね。
ただ、この伝説では、通常では 結ばれることのできない、身分の異なるカップルです。

ただ、その密会が発覚したからといって、男女とも、海に沈めるでしょうか…。

外国の外交団の接待係とは、非常に重要な官僚の要職で、それなりの人物が起用された可能性があります。
そんな人物を、海に沈めるとは…?

これは、何かある!?
歴史研究家の血が騒ぐような内容ですね。

* * *

伝説であっても、しっかりと記録が残る出来事であっても、後に、権力で書き替えられたり、世間にもまれる中で自然に内容が変化してしまうことは、日本史にはよくあります。
「海に沈められた」は、どういう意味なのか…。

海に沈めて処刑した…、
亡くなった二人を海に埋葬した…、
二人が心中して海に沈んでいった…、
第三者が、密かに二人を殺害し海に沈めた…
などが考えられます。

あるいは、「心中して海に沈んだ」、「処罰として二人とも処刑された」などということにして、二人を逃亡させた…も考えられます。

さらに、片方だけが、見せしめに沈められ、もうひとりが、その後を追ったのかもしれません。

あるいは、時代劇ドラマによくあるように、カップルの片方に相手を殺させ、残った片方も別の人間が抹殺するようなことかもしれません。

何か別の男性か女性を巻き込んだ愛憎劇、官僚どうしの出世争いが絡んでいる可能性もあります。

何かの陰謀や暗躍が隠されているのかもしれません。

* * *

奈良時代の吉備真備も、政権内の壮絶な出世争いに巻き込まれましたし、遣唐使どうしの熾烈なライバル関係もありました。

外国の外交団の接待係とは、非常に重要な官僚の要職で、それなりの人物が起用されたはずですので、よく思わない同僚はたくさんいたでしょう。
仕事のライバルの者が、二人の密会をでっち上げた…、密会を密告した…、なども十分に考えられます。

日本史の中で、同じようなケースを考えると、実は恋愛話しでないことも、よくあります。
外交上や政治上の、何かのスパイ行為が絡んでいるケースや、何かの収賄行為が絡んでいるケースも多くあります。

ひとりは要職の高級官僚ですし、二人いっぺんに海に沈めたとなると、なにか妙です。
何か重要な国家機密が暴露・漏洩することを止めたという可能性もあります。
女性は、百済か新羅から来たスパイだったということも考えられます。
女性スパイは、日本の何らかの秘密を本国に…?

百済の敵国の「新羅(しらぎ)」は、日本と百済の密接な関係に、何かの陰謀を仕組んではいなかったでしょうか…。

日韓共同研究がなされても、いいのかも…。

日本史の中では、何か重要な問題を隠すために、恋愛の伝説にすり替える行為は少なからずあります。
なにか哀しい悲恋物語の伝説にすり替えて、政治的な重要問題をもみ消すことは、よくあります。

特に戦国時代はそうでしたが、そうした場合は、わざわざ、「でっちあげ話」を世の中に積極的に吹聴しました。

* * *

いずれにしても、二人が何かに追い詰められた可能性はあります。
仕方がないので、二人を死んだことにして、どこかに密かに逃がしたのかも…。
それぞれバラバラに、生き延びたのかも…。

海に沈めたことにすれば、死がいは見つけられませんし、後に誰も探しません。
周囲の計らいがあったということも考えられます。

伝説では、二人の死後、密会していた その橋で、夜な夜な、男女のささやく声が聞こえてくるようになったという内容です。
それが「ささやき橋」です。

「本能寺の変」「壇ノ浦の戦い」など、何か不可思議な、隠れた内容が残っていることほど、何かの伝説を生みやすいものですね。

「鞆の浦」の この一件が、伝説になっているということは、当時から、それほど、不可思議な内容であったのかもしれませんね。

* * *

ともあれ、鞆の浦の「ささやき橋」の伝説は、ロマンチックな短い内容として残されていますので、そのままであるなら、男女の哀しい悲恋物語です。

立派に「お内裏様(男雛と女雛)」になることのできなかったカップルが、ここにもいたということですね。

「鞆の浦の悲恋物語」… 真実はどのようなものだったのか?
今から解明できるかどうか…?
解明しないほうがいいのかどうか…?

壮大な時代劇ドラマにできそうな「ささやき橋」の伝説です。

* * *

鞆の浦には、沼名前神社(ぬなくまじんじゃ / 鞆祇園宮(ともぎおんぐう)「祇園さん」)という神社があります。

日本書紀では、皇室の海軍が船で瀬戸内海を西に向かい、戦闘後の帰路に、この神社に「鞆(とも)」を奉納したと記録されています。

「鞆」とは、武器である弓を使用する際に、腕に着用する器具のことで、古代日本でのみ使われていました。

先ほどの男女カップルの「ささやき橋」の悲恋話しからすると「鞆」ではなく、いっしょを意味する「共」、連れの「お伴」、捧げるの「供」でもいい気がしてきます。

ひょっとしたら、この「ささやき橋」の伝説では、別の「とも」?
「とも」の裏側に隠された、別の何かが…?

愛しの君よ、あなたとともに、ともの浦の小さな橋で、ともに手をとり… 愛の浦へ…愛の裏側へ!

Naokoさんの このロマンチックな歌は、禁断の愛を貫いた二人として歌われています。
真実は、主人公の二人だけの秘密なのかも…。
「とも」の裏側には、たどり着けない…?

1番のみです。

Naoko
♪ささやき橋の伝説

 

* * *

日本各地には、謎めいた、さまざまな伝説がありますね。
そして、地元に愛される音楽曲がたくさんあります。

日本各地に、地元のひなまつりに特化した音楽曲も、きっと たくさんあるに違いありません。

地元の素晴らしい「ひな人形」だけでなく、素晴らしいミュージシャンや音楽曲も、どうぞ探索してみてください。

わが町の「ひなまつりミュージシャン」は… あの裏いる!

* * *

ここで一曲…。

かつて「米国で最も有名な無名バンド」と呼ばれたこのバンドですが、今や「無名」という言葉は消えました。

バンド名の「グー・グー・ドールズ(Goo Goo Dolls)」の「グーグー」とは、日本でいう赤ん坊の「バブバブ」という言葉のことです。

「グー・グー・ドールズ」とは、身体を指で押すと「グーグー」と声を出す赤ん坊人形のことです。

まるで、人形たちの言葉のような歌詞…
グー・グー・ドールズ
♪アイリス(1998・平成10)

 


◇ひな段飾りの不思議な箱

「歴音fun」としては、ひなまつりに、この歴史話しに触れないわけにはいきません。

平安時代から続く行事(遊び)で、伊勢国(今の三重県)の海産物「ハマグリ」を使った「貝合わせ」です。

平安時代は、貝がらの内側に豪華な色彩の装飾をして愉しむ「貝覆い(かいおおい)」という楽しみ方であったようです。

そこには、あこがれの源氏の君などの絵が描かれており、私の想像では、今現代の人気タレントのブロマイド写真を、女性たちの間で見せあうことに近いものではなかろうかと感じています。

写真のない時代… そのお相手の顔の絵は、持ち主次第…!

絵部分を大事に長もちさせるためや、誰にも知られず密かに隠し持つために、二枚の貝がらを重ねて大切にしていたようです。

* * *

そのうちに、二枚の貝がらを合わせて遊ぶ遊戯「貝合わせ」に派生していったようです。

ここも私の想像ですが、ママの持っている「貝がら」を使って、小さな子供たちが、勝手に遊ぶようになったのかもしれません。
それを見ていたママさんも、「子供たち… なにやら 面白そうやし…?」

二枚の貝がらを、そろえて合わせる遊び… 神経衰弱や、百人一首のかるたとりにも似たものを感じます。

その「貝がら」が、なぜ伊勢国(三重県)のハマグリなのか…、それは京のある畿内に近く、愛しの君のお公家さんたちが たくさん来ていた伊勢であることに ほかなりませんね。
何より伊勢神宮のある伊勢国です。

* * *

この遊びとしての「貝合わせ」の道具である「貝がら(ハマグリ)」のひとつずつは、今の遊戯セットと同様に、大きな専用ボックス「貝桶(かいおけ)」の中に納められています。

平安時代や江戸時代の古い絵などでは、女性たちの脇に妙に大きな箱が置いてあることが多いですが、それはたいてい、この「貝桶(かいおけ)」か、「行器(ほかい)」です。

かつて、神事や儀礼などの際に、お供物や食べ物などを入れた箱「行器(ほかい / 外居)」がありましたが、今でも、一部の古式行事では使われていると思います。

後に、「行器(ほかい)」は、神事などでの使用だけでなく、運搬用の「物入れ」として広く利用されていったようです。
今現代でいえば、旅行時のスーツケースのような意味あいも感じます。
公家や武家では、この行器(ほかい)の豪華さを競い合いました… 現代人のスーツケースへのこだわりと同じですね。

「とも藤」さんによる解説

 

遊戯「貝合わせ(貝覆い)」の仕方
「とも藤」さんによる解説

 

* * *

実は、前述の「貝桶(かいおけ)」や「行器(ほかい)」は、江戸時代頃まで、花嫁が嫁ぐ際の、嫁入り道具のひとつとされていたものです。

ですから、皇室の結婚式を表現した「ひな段飾り」の装飾物の中にも、かつては、この貝桶や行器がしっかり飾られていました。
ですが、今の現代様式のひな段飾りでは、「重箱」のような姿に変わりました。

今の七段のひな段飾りでは、六段目に、嫁入り道具として、箪笥(たんす)、長持(ながもち)、鏡台(きょうだい)、針箱(はりばこ)、火鉢(ひばち)、衣裳袋(いしょうぶくろ)、茶道具(ちゃどうぐ)などが並びます。
今の現代は、さすがに「火鉢」は持たせませんね!

七段目に、婚礼関連道具として、御駕篭(おかご)、重箱、牛車(ぎっしゃ)などが並びます。

ひな壇の「重箱」には、宴会用のお料理セットの箱という意味だけではない、貝合わせの「愛しの君」の歴史が、重なって詰め込まれているような気がしますね。

子供たちにも、どうぞ教えてあげてください!

「娘よ! 嫁ぐ時は、昔の愛しの君の写真を、箱に入れていってはいけません!」

* * *

さて、今現代の和式の結婚式でも、ハマグリを使った「貝合わせ」の行為をする方々もいます。
古式の日本の婚礼風景を見たら、外国人には、驚くことばかりですね。

Why clam?(ホワイ・クラム?:なぜ、貝がそこに…?)


◇どうして、お風呂で 人形の曲なんだ?

本コラム「歴音fun」は、ピアノ教室の先生や生徒さんも たくさん読んでくれていますので、人形のクラシック・ピアノ曲を一曲…。

子供たちのピアノレッスンの入門曲・発表会用曲としてよく知られている、エステン(1813~1870)が、1862年(日本は江戸時代後期)に作曲したピアノ曲作品「お人形の夢と目覚め」(作品「子供の情景」の第4曲)です。

エステンは、当時のドイツの、子供向けの超人気ピアノ教室の先生でした。

ユーチューブ上にも、3歳くらいから小学生あたりの子供たちによる、この楽曲のピアノ演奏動画がたくさんアップされていますね。
どれも、立派な演奏ぞろいです。

160年以上経っても衰えない、ピアノ教室のエステン先生の 恐るべき人気!

ここは、プロピアニストの近藤由貴さんの演奏で…。
例の有名な旋律は、53秒から…。
エステン
♪人形の夢と目覚め

 

* * *

「このピアノ曲、聴いたことある」と叫ぶ、クラシック音楽を聴かない、そこのお父さん!
お父さんの家のお風呂は、きっと…。

企業ノーリツさんは、どうして この曲を選んだ?

お風呂がわきました!

 

ノーリツのCM

 

まさかの進化曲!
パパママ…、こんな家族風呂の光景の時期は、それほど長くはないですよ。
あと何回、いっしょに お風呂に…。
あと何回、いっしょに ひなまつりを…。
ノーリツのCM

 

下記はノーリツ70周年映像です。
いつか 日本のお風呂場からタイルは消えるかもしれません。
でも、日本人の家から、日本スタイルの「お風呂場」が消えることはないでしょう!

株式会社ノーリツは、「さめないタイル風呂浴槽・能率風呂」から、その歴史が始まりました。

 

ノーリツの創業者である太田敏郎には、有名な言葉(企業理念)があります。
「お風呂は、人を幸せにする」。

私は、ここで このことも言いたい!
「お人形は、人を幸せにする」。

さらに、これも、もう一度言いたい!
「どうして 人形の曲を選んだ? ノーリツさん…」


◇お人形は、人を幸せにする

ひとっ風呂浴びたところで、一般の家庭では なかなか見ることのない「ひな飾り」の映像を…。

東京にある「ホテル雅叙園 東京(施設の旧名称:目黒雅叙園・めぐろがじょえん)」での2024年の「ひなまつり」展示映像です。
歴史ある このホテルでは、毎年、ひな人形展示のアイデアと豪華さで、多くの人を驚かせてくれますね。

今年も、ここまでやるか!
まさに、これが 文雅叙情!

 

 

 

* * *

滋賀県 東近江市にある「近江商人屋敷・中江準五郎 邸」で毎年 開催されている「ひな飾り」です。
映像は6年ほど前の「清湖雛(せいこびな)」です。

自宅の座敷の障子を開けたとたん、こんな「おひなさま」の風景が目に飛びこんできたら、女性たちは涙するかもしれませんね…。

お人形といっしょだと、人は幸せになれるのかもしれません…。

「ひな飾り」とは、本来は、このような光景なのかもしれません…。

 


◇神様からの贈り物

コラムの最後は、この洋楽を…。

海外の英語圏の女性の名前に「ドロシー(Dorothy)」があります。
映画でも有名になった児童文学作品「オズの魔法使い」の主人公の女の子の名前も「ドロシー」ですね。

女の子の「ドロシー」と愛犬「トト」による、「オズの国」での冒険のお話しです。
ちなみに、この犬の「トト」は、有名なロックバンド「TOTO」の名の元になったワンちゃんです。

ドロシーから引き離され、連れていかれた愛犬トトが逃げ出すシーン

 

この英語名の「ドロシー(Dorothy)」という名前は、ギリシャ語で「神様からの贈り物」を意味する言葉「Dorothea」に由来するのだそうです。

そして、英語名「ドロシー(Dorothy)」は、愛称として「ドリー(Dolly)」や「Doll(ドール)」と呼ばれることがあります。

ひょっとしたら「神様からの贈り物」とは、ドール(お人形)のこと…?

* * *

「ドリー(Dolly)」といえば、もちろん この女性歌手!

もうすぐ傘寿(80歳)になる彼女ですが、いつまでも元気で美しい、すごい お人形のドリー!
2023年のNFLの「サンクスギビング・ハーフタイム・ショー」の模様です。

マジか!喜寿越え、傘寿直前で、この衣装! 衣装は、女性を復活させる!
ドリー! あと20年は歌えそう!

 

* * *

本コラムの最後は、ドリーの この楽曲にしました。
「ひなまつり」の日に、女性たちへの「がんばれソング」を!

世の中の女性の方々… そろそろ、自分らしく、生きていかなくちゃ!
Better Get To Livin'!
より素晴らしい人生に しなくちゃね!
幸せを つかむのよ!
「神様からの贈り物」である お人形さんを、その手に!

3月3日は、女性たちの日!

ドリー・パートン(Dolly Parton)
♪ベター・ゲット・トゥ・リヴィン(Better Get To Livin')2007・平成19


2024.3.3 天乃みそ汁
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私のお人形(第1回)

 

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