ジブリ、久石譲、麻衣、マルーン5、中野市、須坂市、小布施町、長野県、信州、伊那と恵那、藤沢さん、安藤さん、福島正則、きのこ王国、カノンちゃん、蝦夷、映画音楽、歌謡曲、洋楽。

 

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音路91.風の吹く街にかえる

(カエル コネクション.10)



前回コラム「音路90.90年代のビートにかえる~ワイルドで憩う!(カエル コネクション.9)」に引き続き、今回は連載の第10回となります。
この数回のコラムでは、信州(長野県)の千曲川沿いの街である小諸市(こもろし)や、信州に関連した内容で書いてきました。

今回は、千曲川をもう少し北上し、北信地方の中野市、須坂市、小布施町に関連したお話しや音楽のことを書いてみたいと思います。


◇信州の北信地方

長野県長野市の北東方面に、やはり千曲川流域の街、中野市があります。
この街は、その市名を、全国的にあまり知られてはいませんが、偉大な音楽家の三人を輩出した街です。

その三人とは、高野辰之さん、中山晋平さん、久石譲さんです。

◎高野辰之(たかの たつゆき / 1876年・明治9 ~ 1947年・昭和22)
長野県水内郡永江村(現・中野市永江)生まれ。
作詞家・国文学者

◎中山晋平(なかやま しんぺい / 1887年・明治20 ~ 1952年・昭和27)
長野県下高井郡新野村(現・中野市)生まれ。
作曲家

◎久石 譲(ひさいし じょう / 1950年・昭和25 ~)
長野県中野市出身。
作曲家・ピアニスト

この三人のそれぞれの楽曲を耳にしたことのない日本人は、そうはいないと思います。

東京や大阪などの大都市ならまだしも、地方都市のひとつから、これほど有名な三人が輩出されるなど、聞いたことがない気がします。
長野県内でも、多くの街がある中で、どうして同じ街から三人も… 不思議でなりません。
ですが、物事には、必ず理由や原因があると思います。

* * *

長野県には、軽井沢や松本など、全国的に知られる音楽の街があります。
有名な音楽ホールがあったり、有名な音楽祭があったりします。

ですが、中野市は三人も偉大な音楽家が輩出されているのに、市名の知名度はそれほどでもないように感じます。
中野市は、市民も行政もチカラを入れてがんばっているのだと思いますが、ちょっと残念です。

北信地方には、長野市、善光寺、松代、川中島、戸隠、野沢温泉、志賀高原ほか、たくさんのビッグネームがありますので、よほど特徴のある何かを誇示しないと、市名は埋没してしまうのかもしれませんね。

* * *

北信地方は、真ん中を大きな千曲川が新潟方面に流れています。
千曲川の西側と南部が善光寺、川中島、松代、戸隠のある長野市という大きな行政市があります。
この長野市と肩を並べるには、千曲川の東側と北部にある、中野市、須坂市、飯山市、小布施町などが上手に連携しないと、なかなか長野市に対抗するのは難しいのかもしれません。

この四地域(中野、須坂、飯山、小布施)は、それぞれにかなり個性的な歴史や文化を持っており、全国的にアピールできる内容を多く持っていますので、ひと固まりになってPR展開するのもいいのかもしれません。

上杉謙信と武田信玄ではないですが、千曲川の、東と北の勢力、西と南の勢力という二大文化圏のライバル関係があってもいい気がしますが…。


◇中野県から長野県へ

前回コラムで、明治時代の廃藩置県で、今の長野県が、かつての旧・長野県と、松本を中心とした筑摩県に分かれていたこと、その両県が長野県に集約されたことを書きました。

実は、北信地方と東信地方の地域であった旧・長野県とは、実は「中野県」を「長野県」に改称したものです。
県庁は中野村にあり、それを善光寺近くの長野村に移転させ、名称を「長野県」に変更したものでした。
ですから、歴史の流れ次第では、今の長野県ではなく、中野県として中野市に県庁があった可能性もあります。

* * *

明治時代の初期は、明治維新という国家全体の大変革の時期で、新政府への不満から、日本のそこらじゅうで、農民一揆が勃発しました。
明治初期の農民たちは、今の日本の現代人のように従順ではなく、それまでの江戸時代からの不満も重なり、各地で大暴動を起こしましたね。

北信地方でも、松代、須坂、そして中野でも、大規模な一揆が起こり、中野にあった中野県の県庁舎は全焼、役人の殺害、街での暴動略奪などが起こりました。
今の大規模市民暴動のようなことです。
1870年(明治3)の「中野騒動」は、明治政府軍がやって来て鎮圧されます。

もはや中野村での県および県庁再建は不可能となり、善光寺のある長野村に県庁を移転、県名を変えました。
中野という地域は、かつて、それほど重要な中心地域であったということです。
「中野市」という市名に、「中野」が残されたということです。

明治の初期は、日本各地で、そうした出来事が山ほどあったはずです。
県名と県庁所在地都市名が違っているようなところは、たいてい激動の歴史が…。
「本当は、オラの街に県庁があって、県名だったはずなのに…」。


◇音楽王国の中野市

さて、東京の多くのスーパーマーケットでも、食品の「きのこ」類がたくさん販売されています。
その産地はたいてい、長野県、新潟県、群馬県、栃木県あたりです。
有名な きのこ の企業もありますね。

その陳列棚のきのこには、包装袋にたいてい大きく、産地名が書かれています。
それらの中で特にビッグネームなのが、「信州なかの」「信州中野」という文字です。
東京でも、「信州イコール長野県」は定着していますので、長野県にある「なかの(中野)」という産地だとすぐに分かります。
東京では、中野市といえば、「そういえば、ああ、あの きのこの…」となります。

中野市は、りんごの名産地ですが、これらは、ライバル都市がめじろ押し…、きのこ だったら大勝利!

ここで、中野市の「きのこキャラ」たちをご紹介します。
えのたん(エノキダケ)、エリンくん(エリンギ)、しめじっちゃん(ブナシメジのお爺さん)、にこちゃん(ブナシメジの孫)。
まさかの、きのこカルテット!
こんな4人組が、東京のスーパーの店頭にいたら、きのこ売り場でシールでも配ったら、中野のきのこ バカ売れ!?

この地元感いっぱいの風景映像が、これまた いい!
♪えのたんPV(きのこ王国)


さて、どこの都市にも、公式イメージソングというものがありますね。
この中野市にも、もちろんあります。
ですが、その楽曲のクオリティは、もはや、一行政地域のイメージソングの域を超えている気がします。

それが、楽曲「空みあげて」です。
ユーチューブ上に公式の音楽動画がありませんので、フェイスブックのサイトをご紹介します。
歌詞と、中野の風景があります。


合唱
♪空みあげて

 

ユーチューブ上に、歌唱のない、オカリナ演奏がありました。
そちらも素晴らしい演奏です。

 

* * *

歌詞は、中野市の風景のような、里山の故郷(ふるさと)の街をイメージさせる内容で、もう少し歌謡曲風の歌詞に変えたら、ヒット曲になりそうなクオリティに感じます。
とはいえ、この楽曲の歌詞は、中野市生まれの音楽家 高野辰之(たかの たつゆき)の音楽作品の歌詞をオマージュ(尊敬・敬意をしめす)したものであるのは間違いありません。
高野辰之の存在を実感させる、素晴らしい歌詞です。

作詞と歌は、麻衣(まい)さんです。
この麻衣さんの声を、どこかで聞いたことがあるような気がしませんか…。

♪王蟲との交流

 

NHK大型ドラマ「坂の上の雲」の主題歌(作曲:久石譲さん)
♪スタンド・アローン

 

実は、麻衣さんは、中野市出身の久石譲(ひさいし じょう)さんの娘さんです。
前述の楽曲「王蟲との交流」は、麻衣さんが4歳の時の歌声だそうです。
久石譲さんは、皆さんご存知のとおり、ジブリ映画には欠かせない音楽家ですね。

* * *

父娘の音楽共演です。
「崖の上のポニョ」から
♪ひまわりの家の輪舞曲

 

麻衣さんが、中野市の公式イメージソングを歌った理由がここにありましたね。
麻衣さんは、中野市が生んだ三大音楽家、高野辰之、中山晋平、そして父の久石譲さんの楽曲をおさめたミニアルバムを発表されています。
♪アルバムのダイジェスト

 

麻衣さんは、中部電力のCMで使用されたこの曲でも…。
テレビCM用だけではもったいないような、隠れた名曲に感じます。
(下記映像内では、若干の歌詞の誤りがあります)
♪ドリームランド

 

中野市の公式イメージソング「空みあげて」の作曲者は、MISIAさんの「エブリシング」を作曲された松本俊明さんです。
テレビドラマ「やまとなでしこ」の主題歌。
♪エブリシング

 

中野市の公式イメージソングは、郷愁とやさしさがあふれる、素晴らしい歌詞とメロディの楽曲ですね。
「とりあえず市の歌」ではなく、この楽曲は本気です。
中野市民に愛されるはずですね。
「音楽の街・中野市」にふさわしい楽曲です。

* * *

やはり千曲川流域の長野県小諸市のコラムの時に、清和源氏の小諸氏のことを書きましたが、この中野周辺地域は、やはり清和源氏の高梨氏の拠点だった地域です。
甲斐(山梨県)の武田信玄に追われ、越後(新潟県)の上杉謙信に身を寄せます。
さらに、豊臣秀吉の命で、藤原系の上杉氏とともに会津(福島県)に移転しました。

豊臣政権でも徳川政権でも、上杉氏が開発した、越後(新潟県)の金、高級絹織物、海産物は、莫大な富の源泉でしたので、上杉氏を越後の地から排除し、越後や佐渡を政権の直轄地としました。
その越後に接し、道が通じるこの北信地方も、相当に重要だったということです。

中野市は、京都と三河から伝来した「土人形」のふるさと。
お花のバラ園も有名ですね。
中野市は「きのこ王国」ではありますが、文化の香り漂う「音楽王国」でもあるのです。


◇須坂のカンナちゃん

北信地方には、中野市の南方、長野市の東に「須坂市(すざかし)」があります。

須坂市は、全国的に人気の「須坂動物園」で よく知られていますね。
あの親父カンガルーのハッチは、2009年に亡くなってしまいましたが、都会の大きな動物園にはない、その素朴な雰囲気の動物園には、今でも、いろいろな動物たちが素朴な表情を見せてくれています。
都会にはない自然の雰囲気を、動物たちも感じているのかもしれませんね。

* * *

中野市が、りんごの産地、バラの花の街、きのこのゆるキャラがいるのなら、須坂市は、ぶどうの産地、カンナの花があり、かわいいマスコットキャラクター「カンナちゃん」がいます。

須坂の「カンナちゃん」誕生には、広島の原爆と深いつながりがあります。
1945年、広島市に原子爆弾が投下されましたが、その一か月後に、爆心地の瓦礫(がれき)の中で咲くカンナの花の写真が残っています。
白黒写真ではありますが、白色に見えるその花は、実際は、おそらく真っ赤な色です。
広島の人々は、瓦礫の大地に咲く、その花から大きな勇気をもらったそうです。

* * *

私は、詳しい内容までは承知していないのですが、記事や資料の文章を読んだところでは、2004年、橘 凛保(たちばな りほ)さんが「カンナ・プロジェクト」という名称で、カンナの花の球根を各地に植え、花を咲かせ、再び生まれた球根を他の地域に広めようという活動を始められたそうです。
「平和への願い」を、そのカンナの花とともに世界に広げていこうという活動のようです。

橘さんが、寒さにも強いカンナの球根を探していたところ、2007年に須坂市の協力により、市内の園芸家である田辺さんから球根が提供され、広島市内の小学校9校に植えられたそうです。
そして広島の地で立派に花を咲かせ、その花から生まれた球根は、須坂市に「里帰りカンナ」として贈られたそうです。
今、そのカンナの球根は、日本各地はもちろん、世界に贈られ、立派な花を咲かせているそうです。

そうした関係性もあり、2014年から、花の精「カンナちゃん」が須坂市のマスコットキャラクターとなったということだそうです。
1945年8月6日広島市生まれの、須坂市暮らしのマスコット「カンナちゃん」です。

須坂市の「カンナちゃん」紹介ページ

日本各地にいる地元キャラクターには、それぞれにエピソードがあり、涙ぐましい地道な活動がありますね。
日本のどこに、平和の花、愛の花が 咲くかわかりません。
おそらくは、北信地方という風土が育てた「愛の花」です。


◇小布施の岩松院

中野市と須坂市の中間地点に、日本有数の栗の里「小布施町(おぶせまち)」があります。
人口が1万ほどの小さな街ですが、まさに文化と歴史が凝縮された街で、全国に町名が知れ渡っている街です。

江戸時代、この街には豪商で絵師の「高井鴻山(たかい こうざん)」がおり、彼の絵の師匠である「葛飾北斎(かつしか ほくさい)」を、1848年に小布施に招いています。
小布施町の寺院「岩松院(がんしょういん)」には、北斎が88歳の時に描いた、有名な「八方にらみの鳳凰図」があります。
北斎は、その翌年、89歳で江戸で亡くなりますが、最晩年で あの すさまじい鳳凰図とは… すご過ぎます!
岩松院のその絵の鑑賞方法が、これまた実にユニークで、観た人は生涯忘れることはありません。

次回コラムで、小林一茶のことを書きますが、実は、あの蛙の池も、この岩松院にありますケロ!


◇福島正則と北信五岳

戦国時代の名将である福島正則(ふくしま まさのり)は、もともと豊臣家の恩顧(おんこ)の有力武将で、関ヶ原の戦いでは徳川の東軍について大活躍しました。
正則の母は、秀吉の母である大政所の妹です。

ですが、酒乱癖、歯に衣着せない暴言と大胆すぎる振る舞い、そしてあまりの武力の強さから、家康の死後、徳川将軍家の意向で、少しずつチカラを削がれていきます。
広島の大大名であったのですが、信州の北信の地に減転封され、正則は強制隠居。
隠居名は「高斎」。

生涯最後の五年間は、この小布施町よりも、さらに山あいに入った高山村で過ごします。
高井寺(こうせいじ)は、その住居跡です。
正則の霊廟が小布施の岩松院に、供養塔が高井寺にあります。
正則の死後、福島家は、武家としては一端取り潰され、その後、徳川将軍家の直轄管理の直参「旗本」(じきさん・はたもと)として復活しました。
「これで もう、福島家は徳川家には はむかうまい…」。

* * *

このコラムの冒頭写真は、小布施町から眺めた「北信五岳(ほくしんごがく)」方面で、左から、飯縄山、戸隠の高妻山、黒姫山、妙高山の四山です。
写真にはありませんが、妙高山の右方向に、あのスキー場で有名な 斑尾山(まだらおやま)があります。
この五つの山で「北信五岳」と呼ばれています。

長野県は山国で、北・南・中央アルプスなど、大きく高く長い山並に囲まれていますが、この北信五岳は、単独峰の五つの山が横に並ぶという、他の山並とは少し風景が異なります。

福島正則も、最後の五年間、この北信五岳を毎日のように眺めていたことでしょう。
故郷の尾張(愛知県)の風景、秀吉の天下取りの風景、関ヶ原の風景、朝鮮出兵の風景、広島城からの風景など、さまざまな風景を目にしてきた正則が、最後に眺めていたのは、北信五岳の風景でしたね。

この北信五岳の山を眺めていると、まさに五人のチカラ強い武者姿を思い起こさせます。
福島正則は、有名な「賤ケ岳(しずがたけ)の七本槍」(秀吉の最重要家臣の勇猛な7人の武士で、関ヶ原の戦いでは6人が家康方に)」のひとりで、秀吉の朝鮮出兵の際は、五番隊の隊長でした。

正則は、五岳の中のひとつを自身に重ねたでしょうか…。

* * *

さて、福島正則を含む、「賤ケ岳の戦い」で大活躍した7人の若武者をどのようにイメージされますか?
この戦いは、織田信長の死後、家臣の二人であった、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と柴田勝家との戦いで、実質的に信長の後継者の座に決着をつけました。
信長の次男は秀吉に、三男は勝家につきました。
この戦いで、大活躍したのが、秀吉配下の7人の若武者たちです。

福島正則は、その7人の中でも、「一番槍」と「一番首」という大手柄をあげます。
おそらくは、良くも悪くも、生涯にわたってその大勲章が正則について回ったのだろうと想像します。

賤ケ岳の戦場に突っ込んでいった、若武者7人は、どのような雰囲気だったのか?
こんなイメージか…

2017年の米国映画。
映画「マグニフィセント・セブン」予告編

 

この映画は1960年(昭和35)の映画「荒野の七人」のオマージュ・リメイクです。
もちろん、この「荒野の七人」も、1954年(昭和29)の黒澤映画「七人の侍」の西部劇版リメイクです。

映画「荒野の七人」メインテーマ曲
♪メインテーマ

 

福島正則は、さしずめ俳優のユル・ブリンナーさんといったところ!
上記映像の黒ハット、黒服、葉巻の男が、この7人のリーダーのユル・ブリンナーさんです。

「荒野の7人」のひとり、ユル・ブリンナーさんが小布施・高山村で生涯を閉じたというイメージ…?

* * *

ここで洋楽を一曲…。
ポール・アンカさんと、ピーター・セテラさんの男性二人による1983年(昭和58)のデュオ曲「Hold Me Till The Morning Comes(朝のとばりの中で)」。

勇猛な武将、大大名の地位から転落し、山の奥地に送られた福島正則の心境を想像し、この楽曲の歌詞和訳を少しオマージュ変更してみました。

今のこの屈辱を、言葉になどできないよ。
僕の半分は、まだ栄光の中にいる。
今、僕はかつての日々を思い返している。
そして考えているのさ、今の山の暮らしのままでいいのかどうか…。

そうさ…「もう終わりだ」とクチにしたのは僕自身さ。
山の向こうにあるのは、手の届くことのない夢。
山を越えて、獲りに行くほどの夢だったのか。

せめて、山の上から、遅い朝の光が僕のところに差し込むまで、僕を、このままにしておいてくれ。
今の北信五岳のもとでの、僕の新しい人生は始まったばかり…。
そうさ… 信じていれば、きっとたどり着けるさ。

♪朝のとばりの中で

 

* * *

北信地方は、何か大きな五人の武将「北信五岳」に守られているのかもしれませんね。

私は、数十年以上前に小布施の街に出かけましたが、その時に、江戸時代とそれほど変わっていないのではないかと思ったことを憶えています。
今は、おしゃれな観光の町になっていることでしょう。

でも、北信五岳の風景は、数千年も前から変わらない…。


◇小布施の栗と、マロン・ファイブ

江戸時代に、将軍に献上される「徳川三大果」というものがありました。
「紀州みかん」、「甲州ぶどう」、そして「小布施の栗」です。
小布施には、今、栗の銘菓店がたくさんありますね。

小布施の栗は、六百年ほど前の室町時代に、丹波(たんば / 今の京都と兵庫の一部)から栗を移植したところから始まるようです。
ここでは詳しく書きませんが、この小布施という場所は、北信地方のこの場所の偶然の地形が生んだ、まさに奇跡の土壌により、名産の栗に進化しました。
科学的に証明されたのは近年になってからのお話しです。

* * *

小布施で二百年の歴史を誇る老舗「桜井甘精堂(さくらいかんせいどう)」の名菓「栗かのこ」は、東京の百貨店でも よく目にします。
昭和40~50年代に、俳優の山形勲さんのひと言「うまいな~」で知られた名作テレビCMの映像をネット上で探しましたが、見つけることができませんでした。
その ひと言に、栗菓子の味も、俳優の実力も詰まっていましたね。
今、有名俳優を起用してリメイクしてほしいCMです。
さて、どの俳優さんが…?

栗と桜井家の歴史の話しが、その企業サイトに書かれています。
それにしても、この会社の店舗のたたずまいも、栗菓子も、うまいな~!


桜井甘精堂サイト

二つの川が出会う「逢う瀬(おうせ)」…、傾斜地を意味する「ふせ」…、中世の頃の信濃国にいた豪族の布施氏…、など「小布施(おぶせ)」の名の由来は多くの説があります。
ともあれ、小布施の栗は、自然の神様が人間に与えてくれた、小さな「ほどこし」「お布施」なのかもしれませんね。

* * *

「賤ケ岳の七本槍」を「荒野の七人」でイメージしましたので、今度は、「北信五岳」を「5つの栗」で…?

今や、世界のトップ・ミュージシャンになった、「マロン 5(ファイブ)」じゃなくて、「マルーン 5(Maroon 5)」の楽曲です。
この音楽バンドと「栗」は関係ないですが、小布施の栗は、マルーン5のメンバーたちの おクチに合うでしょうか…?

マルーン5が、クリスティーナ・アギレラさんとデュエットした、2011年(平成23)の曲で、世界中で超大ヒット!
下記の映像の元映像に、あのミック・ジャガーさんは、「オレが映像に出過ぎだ。バンドのお前らの映像が少なすぎる。オレの露出を減らせ!」と言って、作り直させた映像です。
ですが、これは「♪ミック・ジャガー」と何度も聴こえてくる、ストーンズの曲なのか…、まるでミック・ジャガー讃歌!


♪ムーブス・ライク・ジャガー

 

本物のミック・ジャガーさんのダンス!
ミックさんは、2022年で79歳、まだまだ、あのムーブス!

 

米国ドラマ「glee(グリー)」映像から、同曲とローリング・ストーンズの曲「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のコラボ!
音楽センスの素晴らしさにビックリ!
今や、車椅子のダンサーも当たり前!

 

中野市、須坂市、小布施町、そして飯山市も含め、北信地方の千曲川の東側の地域は、善光寺や松代のある長野市地域にも負けない、独自の文化が漂う一大文化圏です。
古いものを大切にしながら、新しい時代にあわせた「文化発信」を行なっています。

どうぞ、次のご旅行に…。

さて、マルーン5の、その地図に北信地方は載っている?
♪マップス

 

毎日が日曜日ならいいのに…
♪サンデー・モーニング

 

 

◇信州の藤沢さん

歴音funですので、ここで、信州に大勢いる「藤沢さん」の歴史のお話し…。

久石譲さんの本名(公開済み)は、藤澤 守さんです。
久石譲という名はアーティスト名で、ミュージシャンのクインシー・ジョーンズさんをもじった名前です。

* * *

実は、長野県は、日本の中で、藤沢(藤澤)姓の多さでは、飛び抜けて断トツの多さです。
北海道にも比較的多いのは、やはり、頼朝に追われた 奥州藤原系の本州脱出組かもしれません。

当然、「大化の改新」の立役者の藤原鎌足(中臣鎌足)につながる「藤」姓の「藤沢」だと思われます。
北信越の地域は、上杉氏でもわかるとおり、藤原氏を祖先に持つ一族が多くいました。

藤原氏一族は、平安時代の頃には、刀剣などの武器による、他の源氏、平氏、橘氏らライバル一族との武力争いをやめ、政治や文化の面で皇室の周辺に居場所をつくり、日本各地の多くの武家に婚姻や養子などで次々に勢力を拡大させました。
いってみれば、藤棚(ふじだな)を日本中に張りめぐらせたようなことです。
ですが、上杉氏や奥州藤原氏など ごく一部の一族だけは、関東や東北の地で武力を維持し、いざという時に備えました。

日本各地に、藤原氏系の者たちが、「藤」に絡んだ姓名を持ち、広がっていきましたが、各所で固まって暮らしたり、あえて地元の者たちと区別すような地名を残し、独自の京風平安文化を残すこともありました。

豊臣秀吉も徳川家康も、一時的に、藤原秀吉、藤原家康という段階を経て、豊臣姓や、源氏の松平姓の一部だけを徳川にしました。
天皇家を支える最有力公家の藤原氏の助力なしに、日本でチカラを持つことなどできません。

家康は、「藤原」のままでは、幕府をつくれる将軍にはなれませんので、清和源氏の吉良氏と藤原系の公家の助力により、名門源氏に戻りました。
だれが政権のトップに立っても、藤原一族が政権に絶大な影響を与え続ける…すさまじい藤原戦略です。

源氏の一部の甲斐武田家は滅んでも、やはり藤原系の上杉氏が滅びることはありませんでしたね。
源頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼしてしまいましたが、これはやり過ぎだったのでしょう。
鎌倉の源氏三代は、あっという間に終わります。
徳川家康の人生のモットーは「やり過ぎても、やり足りなくても、ダメ!」。

織田信長は、「織田家は天皇家の子孫の平氏系だ」と語り、平清盛を目指していましたので、名実ともに天皇よりも上の日本のトップの座を狙い、藤原一族とは、途中から関係を断ちました。
だから、やっぱり…。

今の皇室から「藤原」という言葉が出てくると、ちょっとドキッとするのは、私だけ…。

「藤沢さん」は、そんな、有力な「藤」系の姓の子孫の方々ですね。


◇いいな と ええな(伊那と恵那)

さて、長野県にはかつて、「伊那」という名称の場所がいくつかありましたが、今は、長野県南部の伊那谷の地域だけだと思います。
この「伊那」と藤原や藤沢の名は、関係性が深いと思われます。

伊那は、もともと「伊那部(いなべ)」という、朝鮮半島の新羅から渡来した木材専門加工の職業一族に由来するともいわれています。
古代に、大和朝廷に従わない渡来一族たちは「蝦夷(えみし・ひな・えぞ…)」と呼ばれ、東北や北海道の地域に追いやられてしまいましたが、信州のある、この本州中央部にもたくさんいました。
つまり、「蝦夷」の中には、「伊那部」たちも含まれていたといっていいのかもしれません。

もともと東日本には、西日本の天皇家の先祖とは異なる大勢力が各地におり、信仰の神様も別です。
長野県の諏訪の古代からの神様は、西日本の神様たちとは、基本は異なります。

神話の時代、後に大和朝廷となる勢力は、西日本を制圧した後に、東日本勢力の鎮圧に着手し、それを行なった大将軍がヤマトタケルでしたね。
後で、彼の伊那部たちを武力で鎮圧するお話しを書きます。

さて、この「蝦夷(えみし・ひな…)」の「ひな」は、漢字で「科」とも書きます。
そうです、信濃の「しなの」とは、かつて「科野」と書きました。

「シナノキ」という樹木は、漢字で「科の木」と書きます。
この樹木は加工がしやすいようで、その繊維で縄をつくることができるそうです。
そうでした…、新羅から渡来した一族「伊那部(いなべ)」は、木工職人たちの一族でしたね。

「新羅から来た イナベさんたちは、大和朝廷に従わず、ヒナと呼ばれ、山中で暮らし、シナノキを使って木材加工を行なっているそうです…、それはエ~な!」。

イナ、エナ、ヒナ、シナ…、実はみな つながっていますナ!

* * *

ちなみに、岐阜県の「飛騨(ヒダ)」も仲間です。
「飛騨」はかつて「斐太」とも書きました。
つまりは「山奥」を意味するもので、山のひだ状の地形や、前述の「蝦夷(ひな)」や「科(シナ)」にもつながっていると思われます。

先ほど「北信五岳」の話しを書きましたが、その五岳のひとつの新潟県の妙高山にも、岐阜県の高山市にも、「斐太(ヒダ)」と漢字で書く地名や名称が残っています。
妙高市には、弥生時代の大規模集落「斐太遺跡」がありますが、前述の「伊那部」たちの集落なのかもしれません。
そして、岐阜県の「飛騨(斐太)」という地は、甲斐国(山梨県)の武田信玄の支配域でもありましたね。

そうです…、北海道の日高地方の「日高(ひだか)」は、蝦夷(えぞ)の地にある、やはり「ヒダ」!


◇安藤さんと安東さん

鎌倉時代以降に、北海道や東北の蝦夷(えぞ・えみし)の管理統率を行なった武家に安藤氏(安東氏)がいます。
実は、この安藤氏こそ、信濃の国の武士一族ではないかとみられ、蝦夷を監視・管理する役目の側の「藤原」系の一族とも考えられます、
あるいは、そもそも「蝦夷(伊那部)」出身の一族であったという説もあります。
鎌倉幕府が、「蛇の道はヘビ」「蝦夷の道は蝦夷」とばかりに、伊那部の内情をよく知る安藤氏を任にあてた可能性も考えられます。

今のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の13人の中に、武将の安藤五郎は入っていませんが、この五郎を津軽(青森県の一部)の地で蝦夷対策の長官に任命したのは、執権の北条義時です。
東北の監視、北海道の蝦夷に にらみをきかせました。
五郎は、青森での戦乱で命を落としますが、安藤氏(安東氏)の支配は続きます。

* * *

かつての日本では、一族の一部が移転や分裂をする際に、苗字の漢字の一字を変えたり、加えたり、漢字の読み方をあえて変えたりします。
本家と区別したり、自分たちこそが本家だと主張する意味もあります。
「安藤」からの「安東」という漢字の意味するもの…もちろん、ご想像のとおりだと思います。

この「安藤(安東)」姓は、「安倍」氏から派生した姓でもあり、実はやはり「藤原」の藤系のお名前なのです。
今、東北に安藤さん姓がたくさんいるのは当然ですが、実は岐阜県にも相当に多いのです。
やっぱり… 「エ~な」ですね。

安藤氏(安東氏)と蝦夷のお話しは、複雑で長いので、今回はここまで…。

次回以降のコラムでは、信州の松本市のことを書きますが、その際に関連して、蝦夷(伊那部)つながりの、岐阜県高山市の「斐太(ひだ)」という名を持つ学校のことも書きます。


◇伊那の地の藤沢さん

長野県の木曽地方南部に、名山「恵那山(えなさん)」がありますが、その東側に長野県の「伊那(いな)」、西側に岐阜県の「恵那(えな)」があります。

「信濃(しなの / 信州)」は、蝦夷を意味する「科」の国、「シナノキ(科の木)」の国、北アルプスの東側の「伊那部」たちの「イナ」の国なのです。
対して、北アルプスの西側には、伊那部の「エナ」と「ヒダ」がいたということかもしれません。
おそらくは、同系一族ではあっても、暮らす地域で、異なった姓や地域名を使ったように感じます。

伝説では、ヤマトタケルが恵那山の地域で、大戦争を行ない、その地域の有力豪族たちを、「蒜噛み(昼神:ひるがみ)」の地域周辺で武力鎮圧します。
つまり、天皇家の大和の勢力に従わない、かつての「伊那部」の「イナ」や「エナ」の部族たちをチカラで制圧したのだろうと思います。
長野県にはかつて、「伊那」という名称の地域が実は県内各地に点在していたようです。
そこに、大和朝廷に従わない部族が集まっていた可能性がありますね。

そして、まだまだ反対勢力の多い、そうした山間の地域に、奈良時代あたりになって、天皇家に近い藤原姓の者たちがやって来て、反乱分子を武力で抑え込み、地域を治めていたのかもしれません。
その頃はまだ、天皇家出身の武力一族の源氏も平氏もいません。

そのため、「伊那」という地名と藤原系の姓は、非常に近い関係にあるのかもしれません。
山から流れる水の沢は、伊那部(蝦夷)たちの多く住むその地域の支配を維持するためにも、非常に重要な場所です。
伊那名称の地にある、その大事な山の中の沢を誰が守っていくのか… そりゃあ 藤原系の「藤沢」さんでしょ!

話しが長くなりましたが、長野県に藤沢(藤澤)さん姓が異常に多いのは、そのためのようにも感じます。
平地ではない、山に近い斜面の沢がある地域に、発展した中野市があり、「藤沢さん」姓が多くいるのは、まったく当然!

あなたの周辺にも、藤沢さん、安藤さんがいませんか?

長野県の藤沢さん、岐阜県の安藤さん…、まさか両家での結婚式なんて… まさに運命の絆!
実は、藤系だけでなく、川・田・橋などの水系、山・畑などの土系など、同系の漢字の姓どうしは、相性がいい? …不思議と結婚も多い気がします。
山川さん、土田さん、土井さん方は、どっちも…?


◇久石ワールド

さて、長野県中野市出身の、本名が藤沢さんの、久石譲さんの楽曲を少しだけ…。

宮崎駿 監督のジブリ映画作品には、久石さんの楽曲が欠かせませんね。
この音楽がなかったら、この作品群が、ここまで世界的な評価を受けたかどうか…?

久石さんは、ジブリ作品だけでなく、歌謡曲、映画やドラマの主題歌、交響曲や管弦楽曲、CM曲など、膨大な数の楽曲を残されていますが、ジブリ作品を下記にご紹介します。

・風の谷のナウシカ(1984年)
・天空の城ラピュタ(1986年)
・となりのトトロ(1988年)
・魔女の宅急便(1989年)
・紅の豚(1992年)
・もののけ姫(1997年)
・千と千尋の神隠し(2001年)
・ハウルの動く城(2004年)
・崖の上のポニョ(2008年)
・風立ちぬ』(2013年)
・かぐや姫の物語(2013年)
・毛虫のボロ(2018年)

* * *

久石さんのジブリ作品とのつながりは、「風の谷のナウシカ」から始まります。
当初、音楽は「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」が担当する予定でしたが、久石さんに変更になりました。

ただ、映画では使用されませんでしたが、YMOの細野晴臣さんが作った「風の谷のナウシカ」は、CMで使われヒットしましたね。
この楽曲について、細野さんは後に、特殊な作曲法をあえて行なったと語っておられましたね。

映画のほうは、久石さんの楽曲「王蟲との交流」がメインテーマ曲になりました。
下記は、久石さんが指揮をするオーケストラ演奏ですが、この映像の5分36秒からが、「王蟲との交流」です。
先ほど、久石さんの娘の麻衣さんが、4歳の時に歌った曲こそ、その楽曲です。

 

今、日本の小さな子供たちが、「ダンゴムシ」が異常に好きなのは、私の想像では、このジブリ映画と、この音楽がかなり影響しているのではと感じています。


まさに久石さんとジブリの出会いが、ジブリ作品の成功のスタートだったのかもしれません。

* * *

本コラムは、NHKの朝ドラファンの方々も多く読んで頂いていますので、久石さん作曲を一曲だけ…。
1994年(平成6)の朝ドラ「ぴあの」の主題歌です。
当時、現役のタカラジェンヌであった純名里沙(じゅんな りさ)さんが、異例の主役をされ、大阪がそのメインの場所となった物語でした。

この美しいピアノの響きで始まる「朝ドラ」のスタートは、強烈に印象に残っています。
まさに久石ワールドの音楽曲!
長野県の中野市を舞台に、もう一度、ドラマ制作してほしいものです。

♪ぴあの

 

久石譲さんを生んだ街…それが信州の中野市です。
私が中野市民でしたら、これほどの地元の誉はない気がします。

* * *

ここからは、久石譲さんが作った、ジブリ映画作品の音楽を…。

映画作品「千と千尋の神隠し」の中の楽曲です。
♪ふたたび

 

ザ・ブリーズ・アドベンチャーズの歌唱を二曲。
♪ふたたび

 

下記の映像の森は、シナノキの森かもしれません…。
♪「もののけ姫」と「アシタカとサン」

 

もし再び、長野県で「冬季オリンピック」が開催される日が来たら、前回「長野オリンピック」での音楽監督で、高齢になられた小澤征爾さんに代り、久石譲さんに、ぜひお願いしたいと思っています。
信州・信濃では、久石さんの他には考えられません。


◇シナノのアシタカ

宮崎駿さんは、1997年(平成9)のジブリ作品「もののけ姫」に関して語っておられます。

物語の登場人物の少年「アシタカ」とは、8世紀末から9世紀初頭にかけて、今の岩手県にいた「蝦夷(えみし・ひな)の族長「アテルイ族」の末裔であると。

この作品「もののけ姫」は、室町時代の設定で、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東北の蝦夷征伐を行なってから500年以上後に生まれた蝦夷の子孫の少年「アシタカ」と、森の生きものに養育された「もののけ姫」のお話しです。

「もののけ姫」のお話しは、東北が大混乱だった室町時代前期か、後の足利将軍の権威が低下し世の中が混乱し、戦乱の続く戦国時代になってからのお話しなのかもしれません。
いずれにしても、戦乱と混乱の世の中で、人心は不安でいっぱいだったかもしれません。

* * *

本コラムの前半で書きましたとおり、ヤマトタケルの時代から、大和朝廷に従わなかった「蝦夷」とは「ひな(科)」のこと。
「科野」の国こそ、「信濃」の国でしたね。

久石譲さんのピアノ演奏と指揮(宮崎駿さんも映像最後に登場)。
♪アシタカとサン

 


◇風が吹く中野市

須坂市、小布施町ともまた違う個性を持つ中野市です。
三人の偉大な音楽家を生んだ街… 中野市です。

「音楽の街」というものには、定義などありません。
立派なコンサートホールがたくさんある…、音楽イベントがたくさん開催されている…、どこかの場所で何万人が集まる音楽イベントが年に一度行なわれている…、有名なミュージシャンが生まれた…、それらは「音楽の街」になる基準ではないのかもしれません。

その街に暮らしていたら、知らないうちに住民たちが音楽好きになっていた…、気がついたら 音楽の道を目指す若者が増えていた…、子供たちが歌を歌いながら遊んでいる…、音楽が聴こえてきそうな風景がその街にあふれている…、人と人のあいだに音楽がある…、ひょっとしたら、そうしたことが「音楽の街」をつくるのかもしれませんね。

「音楽の街」は つくるものではなく、どこからともなく、その街にやって来る「音楽の風」のようなものなのかもしれません。
「音楽の風が吹く街」。

風を感じる心が、その地域の人々になければ、それは吹き抜けるだけ…。
今日も、中野市には、いい風が、きっと吹ていることでしょう。

その風こそ…、「Ghibli(ジブリ)」なのかも…。

2002年のジブリ作品「猫の恩返し」の主題歌
つじあやの さん
♪風になる

 

次回コラムも、信州の中野市が生んだ、偉大な別の音楽家のこと、あの楽曲の蛙のこと、あの句の蛙のことを書きたいと思います。

* * *

2022.9.27 天乃みそ汁

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