祝賀御列の儀。祝賀パレード体験記。行幸と御幸とみゆき。最高敬語と敬称。みゆき通り。ポッキー。

 

 

御行(みゆき)の先に幸がある



◇祝賀パレード体験記

コラム「即位の礼・大嘗祭(だいじょうさい)」の中で、「祝賀御列の儀」の日程が延期されたことを書きましたが、昨日、2019年11月10日(日)に盛大に、華やかに行われました。
天皇皇后両陛下による、東京の皇居から赤坂御所までの、30分の車列パレードで、テレビなどでは、「祝賀パレード」と呼んでいましたね。

* * *

今回のコラムでは、私の「祝賀パレード」体験レポートを書きたいと思います。

皆さまも、忘れられない、イベント、スポーツ観戦、音楽コンサート、お祭り、行事などをお持ちだと思います。
感動、感激、感涙し、自分にとって、かけがえのない体験や思い出になっているものも少なくないと思います.

私にも、数々の思い出があります。
かなり昔ですが、初めて、天皇陛下と皇后陛下の御姿を目にした時、言いしれぬ感動に、その身が包まれたことを、よく憶えています。

上皇陛下や天皇陛下の御姿を、直に目にした時の感動は、 オリンピックでの感動、万博での感動、大きなスポーツ競技での感動、音楽コンサートでの感動など、どれとも違うものです。
これは、体験した人間でないと感じることができないのかもしれません。
なかなか言葉では表現できませんが、感動の質が、何か違うのです。
理屈や心情ではありません。

上皇陛下と天皇陛下から、感じる、伝わる、何かがそうさせるのでしょうか。
地位や権威、歴史や思想などからくるものとは、確実に違う気がします。

今回の「祝賀パレード」も、私自身が死ぬ直前に、「あの時のパレードを見ておいてよかった」とおそらく感じるだろうと直感し、沿道に見に行くことを決めました。
普段は、有名料理店でも行列に並ぶことなどしない私ですが、まったく、その直感は的中しました。

* * *

今回の祝賀パレードで、実際に、天皇皇后両陛下の御姿を目にできたのは、ほんの数秒間でしたが、この大きな満足感は、他では経験できません。

テレビのインタビューで、「後方の列で、その御姿を、まったく見ることができなかったけれど、この場にこれて大満足です」というものが、相当にありましたね。
他のイベントや行事では、まずそんなコメントは出てきません。

これから、おそらく地方への行幸や行幸啓、巡幸などが、たくさん行われることと思います。
まだ直接、その御姿を目にしたことのない方々は、一度でいいので、体験してみてください。
この言い知れぬ満足感を、ぜひ人生の思い出に加えてほしいと思います。

* * *

さて、当初、私は、自分の目的の沿道に、パレードが始まる1時間ほど前に到着すれば だいじょうぶだろうと、タカをくくっていました。
ところが、その日の午前中に、「セキュリティ・チェックに1時間かかった」とか、「どんどん沿道に人が集まってきている」というツイートを目にし、これは出遅れたかと思い、予定より数時間前に家を出発することにしました。

目的地は、皇居の桜田門の前、国会議事堂が見える、警視庁のすぐ前の道路です。
地下鉄丸ノ内線の「霞が関駅」で降り、警視庁方面に向かうと、すでに長い列です。

セキュリティ・チェックの列では、約50分並びました。
東京に暮らしておりますと、時折、セキュリティ・チェックや、ボディ・チェックを受けます。
ですが、これほど入念なものは、これまで経験はなかったですね。
内容は控えますが、空港以上かもしれません。
そして、いよいよ沿道に入り、そこで約2時間待ちました。

経験上、沿道でさまざまなイベントを見るには、平坦な場所の場合、最前列から4列目までに場所を確保しないと、その目で見たり、写真を撮ったりすることは、まず不可能だとわかっていましたので、当初の予定よりもかなり早く、家を出発したわけです。

* * *

まずは、日の丸の小旗を受け取り、霞が関の官庁街にある大きな通りを、桜田門方面に向かいます。
この日の東京は、まったく雲ひとつない快晴でした。
ここまで雲がまったく見えないのは、たいへんめずらしいことです。

 

法務省の前も大行列です。

 

下の写真は、皇居の桜田門の前の、セキュリティ・チェックの場所です。
江戸時代に、井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺「桜田門外の変」が起きた、まさに その場所です。
実は、後に昭和天皇になられた皇太子の暗殺未遂(狙撃)が起きた「虎ノ門」も、このすぐ近くです。この事件では、当時の内閣が引責総辞職をしています。
皇居周辺では、昔も今も、いろいろなことが起こります。
他の沿道のセキュリティ・チェックの内容はわかりませんが、相当なチェックでした。
これほどの人数の警察官を、今まで見たことがありません。

 

ワンちゃんも、音楽隊も準備OK。



 

今回、驚いたことがいくつかあります。
警察官がスーツ姿なのです。
もちろん制服部隊もたくさんいましたが、ソフトなスーツ姿に、警視庁の文字の腕章という警察官が多数並んでいました。
そして、両陛下が通る直前に、いっせいに腕章をはずすという徹底ぶりです。
どうも、警備体制の、強く怖いというイメージをやわらげる方策のようです。

おまけに、妙に、沿道の市民にやさしく、親しげなのです。
笑顔で、トークも達者で、パレ-ドの前に、市民に小旗を振らせて事前に練習させ、沿道を盛り上げたりと、サービス満点なのです。

とはいえ、そこは警備です。
「パレードで手にしていいのは、小旗と、スマホと、カメラだけです。」と、何度も念を押していました。
もし、ポケットに手を入れている人がいたら、警察が動きますよとも言っていました。
その通り、沿道の市民の、前と後ろには、警察官が大量に並んでいました。
この人数を見たら、悪い者たちも、さすがにビビるかもしれません。

* * *

さらに、今回のパレードでは、コースの何ヵ所かに音楽隊が配置されており、パレード前にリハーサル演奏まで行われていました。
待ち時間も、それなりに楽しめ、気分もどんどん盛り上がってきましたね。

気になったのは、トイレ問題でしょうか。
これを理由に、来たくても断念した方々がたくさんいたはずです。
2~4時間のトイレなしは、高齢者には、ほぼ拷問です。

それから、今回は、東京の街なかにある、ビル壁面の大型ビジョンの多くで、パレードの模様のナマ中継映像が上映されていたようです。
「パブリック・ビューイング」も各所で行われたようですね。

* * *

テレビ報道では、沿道に11万7000人と発表されていましたが、印象では、前回の12万人は優に超えているように感じました。
実際に、やって来たのに、観覧エリアに入れなかった人たちが2万人はいたという報道も耳にしました。

ようするに、このパレードコースと距離、沿道の広さを考えて、警備上 コントロールできるキャパシティ(許容主要人数)が12万人くらいだということなのか、その人数に制限してあるということなのかもしれません。
実際の沿道人数は、12万人程であったとは到底思えません。
パブリック・ビューイングの人数は入っていたのでしょうか。
全国のテレビ視聴者も含めたら、それはすごい人数だったことでしょう。

* * *

ちなみに、マスコミの様子も少しだけ…。
もちろん、要所要所に、大量のマスコミ関係者が来ていました。
私も、あるテレビ局から、どちらから来られましたかと聞かれました。
「都内です」というと、まきらめてどこかに行ってしまいます。
地方から わざわざ出かけてきた人たちのほうが、テレビ的には、面白い絵面(えづら)になりますよね。

東京の大イベントには、地方のテレビ局なども取材にやってきますが、彼らは、地元からやって来た人たちを探していることがよくあります。
今回も、そうした様子を目にしました。
たしかに、私は、沿道でたくさんの地方の言葉を耳にしました。
旅行ツアーで来られた方々もいたそうですね。

* * *

何か今回は、沿道全体が、おだやかなお祭り気分の雰囲気に包まれていたように感じます。
マラソン競技や、凱旋パレードとも違う、「幸福感」に包まれていました。
沿道にある満面の笑顔は、なかなか他のパレードでは見ない気がしますね。
沿道の人たちの満足げな笑顔をたくさん見ていると、人間のこんな笑顔をしばらく見ていなかったなと思ってしまいます。


◇祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)

さあ、沿道で待っていると、車列の真上を飛行するヘリコプターが、どんどん近づいてきます。
音楽隊が演奏を開始します。
沿道の歓声と、日の丸の小旗を振る音が、少し先から聞こえてきます。
その瞬間が、目の前にやってきました。










 

 

 

 

 

目の前の、ほんの数秒間の出来事でしたが、皇后陛下が涙をこらえている表情は、沿道からもよくわかりました。
そして、あっという間に、国会議事堂のほうに消えていきました。

非常に短い時間でしたが、大満足のひと時でした。
誰も、「もう終わり」という言葉を発してはいませんでしたね。

私は、いつか来る死の直前の床で、きっと思うと思います。
「あの祝賀パレードを見に行って、本当によかった」と。

* * *

「祝賀御列の儀」は、一般国民の目の前を通られる、いわゆるパレードです。
30年前の平成時代の天皇の即位の時も、盛大に行われましたね。

即位の時に、一般国民の前を、こうした祝賀パレードのような形式で、古い時代にも行ったことがあったのか、私は承知しておりません。
「即位の礼」で、天皇御自身が御言葉を述べられるようになったのは、大正天皇からだと聞いたことがあります。
かつては、国民から、はるか遠い存在であった天皇皇后両陛下です。

今、「祝賀パレード」という体験を誰でも味わうことができるのは、ひょっとしたら奇跡的なことなのかもしれませんね。
いつまでも、未来に続いていってほしい、素晴らしい「御列」です。


◇最高敬語

さて、「映像&史跡 fun」であれば、ここでコラムが終了するはずはありません。
この機会に少しだけ、関連の歴史話しを書きますね。

戦前まで、日本には、「最高敬語」という呼称がありました。
戦後は、「敬語」として一般の敬語と、特に区別されなくなりました。
ですが、現代でも、しっかり残っていて、社会に受け入れられ定着しているものが、たくさんありますね。

○○様におかせられましては…、〇〇様にあらせられましては…、おそれおおくも…、あそばされる、もったいなくも、かしこくも、○○をたまわる、など、皆さんも時折、今でもしっかり使っていますよね。

二重敬語、三重敬語などの敬語の使用方法は、テレビやラジオ、新聞等では使用しませんが、実社会では意味のある場合も多いですね。
過度な使い方はおかしな表現になることもありますが、重ねることで、より効果の高い表現になることも少なくありません。
冠婚葬祭は、特に注意しますよね。
使い過ぎず、足りなさ過ぎず…、特に、ある特定の文化が、長く継続進化する日本では、その使い方が非常にむずかしい場合がありますね。

現代でも、皇室に関連した場合には、特に注意が払われますね。
皇室関連用語はたくさんありますので、使う場合は、よく調べて間違いのないようにしたいものです。


◇陛下

「陛下」という敬称は、今の日本の皇室典範や法令では、天皇・皇后・上皇・上皇后・皇太后(先代の天皇の皇后)・太皇太后(先々代の天皇の皇后・天皇の祖母)に使用されるそうです。
御夫妻を示す場合は「両陛下」という敬称が使われます。

ですが、マスコミ関係は、「陛下」という敬称を、今上天皇にだけ使用していることが多いですね。
他の皇室の方々には、「さま」という、ひらがな表記を付けていると思います。
「両陛下」という敬称は、使用されています。

さまざな理由があると思いますが、マスコミ内のある種の取り決めのようなものかもしれません。
世の中では、いつの時代も、この「さま」の使用で賛否両論おこりますね。
むずかしい問題ではありますが、今後も、その時代の考え方や、歴史、社会などを深く考慮し、変化していくものなのかもしれませんね。

マスコミでもなければ、「さま」にこだわる必要はないものと思います。
上皇陛下、上皇后陛下、皇后陛下など、「陛下」の敬称をつけても、まったく問題はないものと思います。
実際に、そう表現されている場合も、よく目にします。

* * *

「陛下」という敬称を、外国の方々に使用する場合も、厳密なルールがあります。

前述の「陛下」の敬称を使用できる日本の皇族の方々以外の皇族の方々は、「殿下」という敬称になります

皇位継承順位第一位になられた「秋篠宮殿下」は、「秋篠宮皇嗣(こうし)殿下」という敬称になられました。
「紀子さま」は、「秋篠宮皇嗣妃殿下」という敬称になられました。
来年は、両殿下に関わる儀式や行事が行われます。

* * *

「上皇(じょうこう)」とは、「太上(だいじょう・だじょう)天皇」の略称です。

「上皇陛下」と「上皇后陛下」に、「平成」という用語を付けるのはよくないとされています。
「平成天皇」、「令和天皇」と、公式な場合に使ってはいけません。
「明治天皇」、「大正天皇」、「昭和天皇」はだいじょうぶだそうです。
理由は割愛します。

* * *

「閣下(かっか)」という敬称も、テレビでよく耳にしますね。

戦後の日本では、外国の方々に向けての表現しか、ほぼ耳にしなくなりました。
これは、外国の君主以外の、国家元首や閣僚、大使、領事、高位の外交官などに使用します。
外国の大統領や首相は、日本の公式の場で、しっかり「閣下」と呼ばれていますよね。
相手国の方も、日本の首相を閣下と呼ぶことがあります。

閣下の使用は、軍隊では、また別の使われ方がされていますので注意が必要ですね。
外国には「将軍」と呼ばれる方も多くいます。


◇行幸

ここで、皇室に関連した用語も、少しだけご紹介しておきます。
テレビやラジオ、ネットや新聞では、しっかり使い分けられていますから、これを機会に覚えてしまうのもいいかもしれませんね。

皇族の方々が、どこかの目的地にお出ましになられるときの用語です。

天皇が目的地にお出ましになることは、「行幸(ぎょうこう)」です。
戻ってこられることは、「還幸(かんこう)」です。

上皇のお出ましは「御幸(ごこう)」です。
戻ってこられることは、「還御(かんぎょ)」です。

「上皇后」という敬称は、日本の歴史上、初めて使われるものですので、私は詳細はわかりません。

皇后・皇太后・太皇太后・皇太子・皇太子妃のお出ましは、「行啓(ぎょうけい)」です。
戻ってこられることは、「還啓(かんけい)」です。

天皇が皇后と一緒のお出ましは、「行幸啓(ぎょうこうけい)」です。
戻ってこられることは、「還幸啓(かんこうけい)」です。

天皇・皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃・上皇・上皇后以外の皇族のお出ましは、「お成り(おなり)」です。
戻ってこられることは「ご帰還(ごきかん)」です。

* * *

ですから、会社内だけで、「社長のお成り…」とか言っているのはいいですが、公式な場で、そんな使い方は会社の品位を疑われます。
「お成り」は、もともと、高い位の方々のお出ましの際の表現だったようで、江戸幕府の将軍の場合でも「御成り」は使われていました。

今でも、お城やお寺、神社に、「勅使門(ちょくしもん)」と呼ばれる門があり、そのとおりの作法で使用されている場合もあります。
勅使門は皇室の方々や、天皇のお使いしか、通ることを許されていなかった門です。
「勅使門」のあるようなお寺や神社には、「筋塀(すじべい)」という寺の外周の塀に、たいがい五本か三本の白線が入っています。
五本線は、最高位の証です。

京都の醍醐寺(だいごじ)の「唐門(からもん)」も、ド派手な大型家紋付きの勅使門として有名ですね。
日光東照宮の唐門は、勅使と将軍、高位の幕臣、大大名などが通れます。
なぜ皇室と区別されていないのか、ご想像の通りです。
徳川家に神様はひとりだけです

徳川家に近い大きなお寺には、「勅額門(ちょくがくもん)」や「御成門(おなりもん)」という門が存在する場合があります。
「勅使」と「勅額」は、もちろん意味が異なります。
「御成門」や「勅額門」のあるお寺は、江戸幕府の将軍との関係性が深いお寺で、それらの門は、基本的に高い身分の人しか通れなかったものです。

* * *

さて、先日、上皇陛下と上皇后陛下が、御夫妻で、国立公文書館の特別展、その名も「行幸~近現代の皇室と国民」を御視察された際に、国立公文書館自身が、「上皇上皇后両陛下の行幸啓と、秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下のお成り」という表現をしていましたので、これが正解なのだと思います。

前述しましたとおり、上皇陛下の場合は「御幸(ごこう)」なのですが、上皇后という敬称が、とにかく歴史にありません。
両陛下のお出ましを、どのように表現していいのか、相当に苦心したのかもしれませんね。
まして、展覧会のテーマが「行幸」です。
マスコミ各社も、かなり迷っている様子がうかがえました。

いずれにしても、このように新しい状況に対応しながら、少しずつ、皇室の歴史がつくられていくのだと実感しました。

* * *

「行幸(ぎょうこう)」や「行幸啓(ぎょうこうけい)」など、ルールに則した、短い漢字表現があることは、ある意味、とても助かりますし、姿勢や気持ちをきちんと表現できますね。

「行幸」や「行幸啓」…、いつ何時(なんどき)、自分自身が使うことになるか、わかりませんよ。
皇室の方々のお顔をテレビで拝見した際に、すぐにクチから出てくるようにしておきたいものです。


◇みゆき通り

天皇の「行幸(ぎょうこう)」は、実は「みゆき」とも読みます。

東京の皇居近くの銀座には、「みゆき通り」という、有名な通りがあります。
このみゆき通りの「みゆき」は、天皇の「行幸」が由来となっています。

明治天皇が、浜離宮や、東京築地の海軍学校に行幸されるときに、いつも通る道だったからです。
「山下橋通り」という名称を、明治時代に「みゆき通り」に変更しました。

* * *

この通り名から、あの「みゆき族」の名称が生まれてきましたね。
ベテラン世代には、なつかしい若者ファッションです。
自分の娘に、漢字を変えて、名前をつけた方も多かったと聞きます。

でも、なぜ、ひらがなの「みゆき」なのでしょう?

私は、可能な範囲で調べてみましたが、どこにも見つけることができませんでした。

ここからは、私の想像です。
私は、意図的に、ひらがなにされているのであろうと思っています。


◇「御行(みゆき)」の先に、「幸」がある

実は、「みゆき」は、二種類の漢字表記があります。
「行幸」と「御幸」です。
「御幸」も「みゆき」と読むのです。

「行幸(ぎょうこう)」と「御幸(ごこう)」の言葉の意味の違いは前述したとおりです。
まったく意味が違います。
ですが、この二種類の漢字表記は、両方とも「みゆき」と読むことができます。

日本各地には、「みゆき通り」や「御幸通り」が存在します。
銀座の「みゆき通り」の場合は、明治天皇の「行幸」という意味では、「行幸通り」という意味合いも考えられます。
実は東京には、「行幸(ぎょうこう)通り」という別の道があります。
それは東京駅から、皇居までの短い距離の道です。

東京駅の丸の内側には、皇室専用貴賓出入口と御部屋があります。
皇室以外に、その出入口を使うことはできません。
「勅使門」のような存在ですね。

ちなみに、東京の原宿駅には、「宮廷ホーム」と呼ばれる、皇室専用の線路とホームがあります。
今、原宿駅は大規模建て替え中ですが、どのような姿になるのでしょう。

皇室専用列車「お召し列車」は、皆さまもよくご存じだと思います。
新幹線の場合は、全車両貸し切りとなります。

* * *

さて、「みゆき」の話しに戻します。
この「行幸」と「御幸」の使い分けは、平安時代からといわれています。
源氏物語の原文には「行幸」の漢字が登場します。
現代語訳では、これを「御幸」に変えてある場合もあります。

ですが、もともと「みゆき」とは、「御行(みゆき)」という漢字表記と、単に「お出まし」の意味だったようです。
天皇がお出ましになるところ、出向く地域には、「幸福」をもたらすという意味で、「ゆき」の部分を「幸」の文字に変え、「行幸」と「御幸」の漢字が生まれたと考えられていると、何かで読んだ記憶があります。

今の言葉の意味では、天皇と上皇の違いはあるにせよ、「行幸」と「御幸」は同じような、ある程度の距離のある、お出ましの意味で使っています。
漢字の文字の意味だけで考えると、「行幸」と「御幸」は別の意味とも、とらえられます。
ですが、本来は、「お出まし」ではなく、各地に「幸福」をもたらすという意味が込められているのです。

* * *

銀座の「みゆき通り」と、東京丸の内の「行幸(ぎょうこう)通り」のどちらが先に誕生したのか、私は承知しておりませんが、単なる区別とは違うのかもしれません。
天皇陛下が、各地に「御幸」をもたらすために、東京駅の専用出入口から全国に向かう「行幸」の際に通る道は、「行幸通り」です。
ひらがなの「みゆき通り」の「みゆき」の中に、「御幸」や「行幸」の意味が無いのかといえば、そうともいえない気がします。

東京銀座の「みゆき通り」は、明治天皇が、皇居から築地の海軍学校まで通っていた道です。
そのご利益なのか、近年の繁栄ぶりはたいへんなものです。
まさに「幸」をもたらされた通りですね。

* * *

実は、私は、今回の「祝賀パレード」の直後に、明治天皇が通った、東京銀座の「みゆき通り」を歩いてきました。
「祝賀パレード」と同じ日に、天皇の「行幸」や「御幸」の「みゆき」道を、記念に歩いて、写真撮影でもしてみようかと思ったわけです。
歴史的な場所もたくさんある通りです。
次回、その内容を写真とともにご紹介します。


◇各地に広まった「幸」

明治天皇は、明治時代になってから、全国各地に「巡幸(じゅんこう)」されました。
江戸時代から、天皇の国にかわり、その威光を示すためもありました。
「巡幸」とは、一か所に出向く「行幸」とは異なり、数か所の目的地を巡る場合に使う用語です。
もちろん、現代でも使います。

明治時代の初期、地方には、まだまだ江戸時代が残っていました。
初めて天皇という存在を目にした人たちが、たいはんだったはずです。
まったくの一般庶民では不可能だったはずです。
今の天皇陛下の巡幸とは、意味合いも、様相も、かなり違ったことだったでしょう。

各地の地名に「幸」の文字が残っていきました。
地元からすれば、ありがたい「行幸」の「幸」、願いのこもった「御幸」の「幸」の文字ですね。

日本各地に「聖蹟(せいせき)」という名称の地域や場所がありますが、これも古くから天皇の行幸先を意味するものです。

「幸」をもたらす、さまざまな皇室行事は、現代でも、しっかり行われていますね。
おそらく日本の歴史と同じ長さだけ、続いているものだと思います。

* * *

天皇皇后両陛下の重要な「行幸啓(ぎょうこうけい)」に、「四大行幸啓」というものがあります。
全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会、国民文化祭が、それです。

「祝賀御列(しゅくがおんれつ)」…、それは祝賀パレードという意味ですが、これも日本中に「幸」をもたらすことに、疑いの余地はありません。
これから、東京に限らず日本各地への、天皇皇后両陛下の「行幸」、「行幸啓」、「巡幸」などが、たくさん行われると思います。
今年は、伊勢神宮や、各地の天皇陵への参拝も予定されています。

皆さまも、これから、その御姿を目にできる機会が、たくさんやってくるものと思います。
「御姿を目にするため、沿道やその場にやって来て、本当によかった」と感じる体験を、皆さまも、どうぞ味わってみてください。

* * *

さて、「祝賀御列の儀」の後は、いよいよ「大嘗祭(だいじょうさい)」が始まります。
「即位の礼」と並ぶ、最重要儀式の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が、今年の11月14日から15日にかけて行われます。
コラム「即位の礼・大嘗祭」で、少しだけご紹介しました。

旧江戸城の本丸にある「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の建物の一般公開は、11月21日から12月8日までの予定です。
本コラムでも、また写真でご紹介する予定でおります。

* * *

ちなみに、本日、11月11日は「ポッキーとプリッツの日」です。
「ポッキー」とは、もちろん日本のあのチョコレート菓子のことです。
「ポッキー」は、日本語の「ポッキン(ものを折るときの音)」からの造語ですが、英語圏ではあまりいい意味ではありません。

日本名の「ポッキー」は、ヨーロッパでは、「ミカド」という商品名で売られています。
「ミカド」はもちろん、日本の「帝(みかど)」、そのとおり「天皇」を意味する言葉です。

どうもヨーロッパでは、ポッキーに似た形状の、細い竹ひごを使う日本のテーブルゲームを「ミカド」と呼んでいたらしいのです。
大日本帝国時代に、このゲームは伝わったのでしょうか。

「ポッキー」は、日本生まれの商品で、その形状が「ミカド」ゲームの道具に似ていることから、組み合わさって「ミカド」という商品名になったようです。はっきり確証を得ている話しではありませんが、ネット上にはそのように書かれていました。
中国では、ポッキーは「百奇(バイチー)」と呼ぶそうです。
アメリカや韓国、台湾は「ポッキー」だそうです。

「みゆき」も、「ポッキー」も、名前の変遷とは、面白いものですね。

* * *

それでは次回は、前述の「みゆき通り」をご紹介します。

 

 

 

2019.11.11 jiho

Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.

 

 

 

ケロケロネット