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現役プロの小説家「子竜 螢」が、文学賞受賞へと導きます  KEI SHIRYU 

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下の項目をお読みください。


今回は、いただきましたコメントへ反論させてくださいませ。




このブログは文章への関心が薄いです。

小説は文章です。

これでは、純文学は書けないと思ってしまいました。


このような内容のコメントでした。


きっと、純文学の執筆に励んでおられるのでしょうね。

受賞されるよう、陰ながら応援いたします。


でも、ちょっとだけ待っていただきたいのです。




小説は文章です、のくだりには引っかかりを感じました。

なぜそのように誤解されているのでしょうか。


いいえ、コメント投稿者の方だけじゃなく、純文学を志し

ておられる方全般にみられる傾向です。




文章というものはあくまでも伝達の手段であって、それ

そのものが目的ではありませんよね。


しかし、最近の受賞作品を読んでみますと、手段と目的

とを履き違えているとしか思えません。


なぜなら、かつて日本には平易な文章ながらも奥深い

作品がいくらでも存在していたからなのです。


いや、現代でも愛読され続けています。




たとえば志賀直哉の作品です。


文章そのものは、作文が得意な小学生でも書けるかも

しれません。が、行間に漂う奥深さという点では、どんな

に着飾った文章にも優っています。


いや、明治から大正にかけての名作は、ほとんど着飾ら

ない文章にて書かれています。




そもそも、当ブログは文章講座ではありませんし、文章

というものは書いた経験値が蓄積されて、自然と上達

するものです。


あるいは、読書をした際に感銘を覚えた文章を書きとめ

たりしながら、上達してゆきます。


文章とは文章のみで存在しているのではなく、伝達する

中身との一体となっています。


つまり、文章表現にこだわるあまり、中身をおろそかにし

てはいけないということです。


こだわるなとは言いませんよ。




何のために書くのか。

誰のために書くのか。




当ブログの基本はその点です。小説というものの原点です。


奥深く濃い中身であれば、文章はむしろ平易なほうがベスト

でして、着飾った文章は行間に漂う味わい深さを殺しかねま

せん。


文章のみにこだわる純文学志向の方は、古典作品の研究が

足りないのではないでしょうか。