柏原御殿は、近江国内に点在する徳川家の上洛時宿所(御殿とかお茶屋御殿とか称されます)のひとつです。他には永原御殿や伊庭御殿、水口御殿などがあり、永原御殿と水口御殿、それに柏原御殿の三つを「近江三御殿」と称したのだそうです。柏原御殿が存続した凡そ70年弱の間に通算14回もの徳川将軍家による使用記録があり、宿泊数は近江の各御殿の中で最多を誇っているのだとか。よっぽど居心地がよかったのか、都合がよかったのかだと思いますが、主要街道(中山道)にぴったり横付けできる御殿は柏原御殿だけ(水口御殿も同様でしたが、後に水口城が築かれてその機能がまるごと移転しています)だったこともその理由でしょう。ちなみに遺構の残りが良い永原御殿と伊庭御殿はともに国の史跡に指定されていますが、両御殿が街道からはちょっと離れていた(脇街道である朝鮮人街道に面していた)のもよかったのかもしれません。逆に柏原御殿はその敷地のほとんどが民家となり、東側の井戸周辺の一部だけが公園として開放されるに留まっています。

 


柏原御殿が整備される前から徳川将軍家は中山道を往来しており、その際に柏原宿の西村家に逗留するのが慣例になっていました。そのため、元和9(1623)年になって徳川秀忠が改めて御殿を設け、寛永年間には徳川家光によって大改修がなされているようですが、徳川将軍家が上洛することがなくなった元禄2(1689)年には建物が解体されています。その際に西村家が拝領したとされる御殿屋根の「蟇股」が伝来しており、中央に刻まれた葵の御紋が将軍家の威信を今に伝えています。葵の御紋を見ているだけで何やらお馴染みのテーマソングが浮かんできますもんね(古い世代だからか?)。この「蟇股」は、かつて御殿敷地内で用いられていたとされる一石水甕とともに、柏原御殿からほど近い柏原宿歴史館で見ることができるようです・・・が、私は見てきませんでした。例によって旅を終えてから知ったので・・・(汗)。