坂本城で石垣が出た!という大ニュースに飛びついて、現地に並んで整理券を受け取る(これが実に長蛇の列だったのですが)と、現地説明会まで時間があったのをよいことに壺笠山城まで行ってみることにしました。坂本比叡山口駅から京阪線で二駅の穴太駅で下車し、あとはてくてく歩いて壺笠山城へ。これが長かった!(笑)
だいたい往復1.5時間くらいかなと踏んでいたのですが、片道で優に40分。ほぼ車道(未舗装)なので歩くのに難儀はないのですが、何しろ長い。道はこれで合ってるのか?と自問自答しながらの登城となりました。汗かきましたねー。2月なのに(笑)。
ざっと行程をご紹介しておくと、比叡山高校のグラウンドと墓地に挟まれた道を登って行き、30分くらいたったところで分岐に入り、峠みたいなところについたら山へと取り付く道に入って、尾根に出たら左に進むと壺笠山です。

 

 

山への入口から今来た道を振り返ってます。

 

ほとんどが壺笠山を横目に見ながらの行程なので、分かりやすいといえば分かりやすいですが、もどかしいといえばこれほどもどかしいことはありませんね。山を半周は迂回しての登城となります。
お城は山頂の古墳(壺笠山古墳といって、特殊器台形埴輪片などが表面採集されているそうです。巷では城跡より古墳の方が有名かも)を利用したもので、主郭がほぼ円形になっています。

 

主郭。ただし看板は古墳のもの。

 

主郭を囲むように低い石垣が見え隠れしているので、恐らく全周石垣で囲まれていたのでしょう。少なくとも2ヶ所に虎口があって、石段が設けられているのもわかります。

 

 

このあたりの石の構築物は古墳ではなくお城に由来するものということでよいのでしょう。いい感じの廃城感があるので、ふうふう登って見るだけの価値はありました。満足満足。
壺笠山城には、宇佐山城付近で朝倉・浅井連合軍と織田方とが激しい戦いを展開した後に、京へと急遽舞い戻った織田信長の逆襲に備えて朝倉・浅井軍が陣取ったという記録が「信長公記」に出てくるそうです。「はちが峯」「あほ山」「つぼ笠山」に陣取ったと出てくるのがそれで、他の二ヶ所はともかく「つぼ笠山」は壺笠山でよいのだろうとの評価がなされています。ただ陣城と捉えるには石垣のこしらえ方が丁寧過ぎますよね。石段とか。

 

 

近江坂本にはもう少し後の時代になってから明智光秀が入ってきますので、京と近江を結ぶルートのひとつである「白鳥越」を扼する拠点として何らかの整備が施された可能性がありそうです(筆者はこの時の整備で石垣が構築されたのではないかと直感しています)。
坂本城の現地説明会の時間が迫ってきました。このまま歩いて現地へと向かいます。急げー。