高山右近といえば敬虔なクリスチャンとしての顔と有能な戦国大名としての顔の両面を持つ良将で、キリスト教を棄教しなかったことでフィリピンへと搬送され、彼の地で熱狂的歓迎を受けつつ生涯を終えた人物としても有名です。そんな高山右近が城下町もろとも整備したのが船上城で、現在も明石城から1,5kmほど離れた場所にその痕跡を残しています。明石城を築いた小笠原忠真が明石に入った際にはまだ船上城にも建物が残っていて、船上城の建材を明石城にも活用したと言われています。具体的には巽櫓(向かって右側の櫓)が船上城の建物(天守?)だったとも伝わりますが、現在の巽櫓は寛永年間に火災を受けた後の再建なのだそうで、仮に船上城の建材が使われていたとしても寛永年間に灰になってしまっていたということのようです。ううむ。

 


船上城と明石城は何しろ1.5kmしか離れていないわけですから、明石城を攻撃対象とした場合には船上城がその陣地となる可能性が高いわけで、感覚的には完全に消滅させられてもおかしくなさそうな気がするのですが、意外なことに船上城には本丸の一部が奇跡的に残されています。周囲より一段高くなった本丸、本来の姿よりかなり小さくなっているそうなのですが、ともかくもこれだけ痕跡を残していることには(何で残されたのかという疑問はさておき)嬉しい限りです。ただこの場所は私有地となっていて、見たところ見学者を歓迎するような雰囲気ではありませんので、船上城を見学する際には隣接する船上西公園から覗き込むことにしましょう。何で「覗き込む」という表現になるかは現地に行けばわかると思いますが、くれぐれも不審者扱いとならないよう、慎重に見学して頂ければと思います。船上城の貴重な遺構を長く後世に伝えるためにも。