尼崎城に天守ができるぞ、という話を聞いたのは10年近く前のことだったでしょうか。某家電量販店の創業オーナーの方が私財を投じて天守を寄附・・との話を最初に目にした際には、「ありゃりゃ、また得体の知れない模擬天守が出来るんだろうな」といった程度の認識でしかなかったのですが、2019年に完成した天守は驚くほど古写真等で見た姿が再現されており、今さらのようにオーナーの本気度に感じ入りました。

 

 

これはもはや模擬天守の範疇を超えた模擬天守。過去の天守の位置を選ばずに、西三の丸の一角の公園地を選んだのも正解と言えるでしょう。天守そのものの遺構を壊さずに済んでいるわけですから。
2024年に実地を訪ね、天守内部を見学したらまたその意外なくらいの本気度に改めて驚きました。この天守から見た「本来の尼崎城の姿」の展示は、ありきたりのように見えながらかなり思い切った試みと言えそうです。見学しているその人自身は紛れもなく「天守」にいるのに、「本来の天守はここでーす」と、天守自身があっさりと「偽物」であることを認めるというシュールな企画は、何気なく見てしまえば素通りしてしまいそうなものですが、後から考えるとじわじわきます。清州城や関宿城のように、模擬天守が全然違う場所に建ったおかげでもとのお城の位置を認識頂けなくなっている可能性のあるお城もそれなりに存在するわけですが、これほどはっきり「私(天守)はもともとあっちに建っていました」と表明している模擬天守って、ありましたでしょうか。丁寧な展示構成も相俟って、尼崎城の潔さには清々しささえ感じます。

 


尼崎城は、少なくとも地表面からはその姿を消し去りましたが、航空写真をしげしげと眺めてみると案外その姿が辿れます。現在の天守から本来の天守があった歴史博物館の付近までのエリアを北から包み込むように緩やかな曲線を描く道路がありますが、その道路が形作る図形はもとの堀の位置に一致します。また、城域の東端にいかにもな緑地帯があって、現在は北浜公園とか大物川緑地とか言われている場所がありますが、これは尼崎城の堀を埋めたものであることが確実です。北浜公園が描くラインと先ほどの道路が描く堀の痕跡とは見事に繋がりますので、これで城の北辺が理解できますね。北浜公園が南にぐいっと曲がって伸びているところが堀跡で、これが尼崎城の東辺となり、西辺は今の模擬天守が建つ公園の西側を流れる庄下川。南辺は阪神高速道路の南側、緑地帯を挟んだ先に東西に伸びる、運河のような水路。これは尼崎城の堀そのものなんですね。尼崎城は地表面からほぼほぼ消え去っているにも関わらず、東西南北がほぼ画定できるという意味で、稀に見るお城と言えるのかもしれません。これはもう一度、ちゃんと歩いてみないといけないかもしれませんねー。わくわく。