小山城の一帯は「能満寺山公園」と呼ばれています。小山城は史跡指定を受けておらず、昭和の天守造営の際にも史跡公園ではなく都市公園としての「開発」であったとの記憶があります。

 

 

以前にもお話しした通り、筆者はこの開発に先立つ発掘調査に加わっていたのですが、何しろ夏の暑い盛り、高校生だった筆者には到底通える気力がなく(高速バスを駆使して自宅から片道1時間を要したことも要因でしたが)、たぶん3回くらいしか通っていなかったと思います。でもその際に遺構面から焼米が出たことと、綺麗な三日月堀が掘り出されたことを覚えています。

 

 

ただそのどちらも出土・検出された瞬間には立ち会っておらず、さぼっている間にすっかり遺構が「出来上がっていた」というのが真相なので、天守の直下に整備されている三日月堀は未だに実際の遺構だったのかどうかをはかりかねています。せっかく発掘に携わる機会を得ていたのに、勿体ない・・・。
それはさておき公園名の「能満寺山」、麓に能満寺というお寺があるのがネーミングの由来ですが、この能満寺には非常に大きなソテツがあります。これがなんと筆者がまだ幼児だった頃に訪ねていたらしく、ソテツの前で父に肩車されている写真が手元に残っています。かれこれ55年近くが経過しているでしょうか。今年の初め、久々に能満寺を訪ねてみたら、今もこのソテツは健在でした。写真で見る限り、50年前も今もさしてサイズに変わりはないようですから、このソテツの寿命のほどが知れそうです。肩車された幼児期の記憶はありませんが、今は亡き父との希少なツーショット写真、今も筆者の宝物です。

 


昭和に整備された小山城には、冠木門なども建てられていました。こちらは残念ながら撤去されてしまったようで、かつて冠木門が立っていた場所には礎石だけが残されていました。100年もすれば、この礎石自体が遺跡になってしまうんでしょうね。
変化するものあれば変化しないものもある小山城とその周辺ですが、かつての姿をそのまま残していると断言できるのが三重三日月堀。

 

 

あまりにもよくできた三重堀なので、むしろこちらが作り物感満載に見えるのですが、こちらは自信を持って断言します。公園化されるよりずっと前、能満寺山公園がまだ茶畑だった頃から、小山城の三重三日月堀はこの姿でした。全国的にも珍しいこの三重三日月堀、ぜひとも一人でも多くの方に見て頂きたい、小山城自慢の遺構です。ちなみに模擬天守は全くの模擬天守ですが、案外いい形をしていて絵になりますので、そういう意味でもぜひお立ち寄り頂ければと思います。小山城から徒歩1分のところにあるうなぎ屋さん「八木秀」もお勧めです(かつてこのあたりは鰻の名産地でした)。