恒例の「国史跡指定答申」の季節がやってまいりました。今回、晴れて国の史跡への答申がなされたお城関係の遺跡は・・・

 

【新規指定】

・西方城(栃木県)

・物集女城(京都府)

・東氏館跡及び篠脇城(岐阜県)

 

【追加指定】

・水城(福岡県・特別史跡)

・二本松城(福島県)

・小田原城(神奈川県)

・甲府城(山梨県)

・姉川城(佐賀県)

・大友氏遺跡(大分県)

 

といった感じです。まずは答申対象となったそれぞれの城館跡に、心からお祝い申し上げます!

西方城は何年も前から総合調査が行われていることは知っていて、発掘調査報告会にも参加させて頂いたことがあります。

 

 

全体感から近いうちに国史跡になるだろうなと思っていましたので、筆者的には西方城が今年の大本命でした。大本命と言っても、筆者が予想し得たのは西方城だけだったのですが・・・(汗)。

上の写真は、まだ調査が行われる前に郭の表面に露出していた岩で、これは庭園で間違いないだろうと思っていたものです。調査でもそのつもりで周辺を掘って下さったのですが、この石はなんと地山の岩盤に繋がっていて、周辺からも庭園らしき遺構は確認できなかったのだとか。へー。

基本的には西方氏のお城とされながらも、縄張や石積みを伴う遺構からは近世的な匂いも漂うということで、まだまだ謎多きお城ではありますが、国史跡となったことで一段と整備が進み、今まで見えなかったところから新たな発見があるかもしれません。今回答申対象となったお城の中で、筆者にとって最も楽しみなお城であることに間違いはありません。

 

物集女城は筆者にとっては大穴でした。もちろん本格的な調査が継続していたお城ではありましたが、筆者としてはほぼノーマーク。やっぱり関西は苦手エリアなのかも。まだ行ってないし・・・。

それにしてもとんでもないところによくぞこれだけの遺構を残したものです。向日市の平野部の、畑と住宅とが点在するエリアに中世以来の土塁を残すこのお城、乙訓地域の盟主的存在であった物集女氏が拠っていたところですが、細川藤孝に誅殺されて没落していったのだとか。平たく言えば既成勢力と新興勢力の争いですが、つくづく戦国時代の厳しさを思い知らされる出来事です。

 

東氏館と篠脇城も、いずれは国史跡にという声がずっと聞こえていたお城でした。東氏館の庭園は国名勝に指定されているので国史跡とのダブル指定はちょっと厳しい(保存整備の観点で言えばダブル指定する意味があるのか)とも思っていたのですが、発掘によって室町時代の東氏(東国への遠征命令を遂行するばかりでなく有力武家古今伝授の当事者でもあるという、風流な有力武将でした)ゆかりの優雅な庭園や礎石建物が検出されたばかりでなく、東氏以降に畝状空堀群を備えた純粋な戦闘的城郭に生まれ変わるというダイナミックな変遷が評価されての指定だそうです。

 

 

筆者は篠脇城の麓まで赴いたことがあるのですが、どういうわけか雪がわんさか降ってきて、雪化粧の東氏庭園を拝んだだけで退散したという苦い思い出だけが残りました。後でいろんな人に話を聞くと、やれ蛭がいるだとか、薮っていて畝状空堀が見にくいだとか、季節を選ばないとしんどそうな話ばかりが耳に入り、ちっとも再訪できずにいます。国史跡指定を契機に、綺麗に整備がなされると嬉しいのですが。

 

追加指定された数々のお城についても触れてみたいのですが、長くなるのでこのへんで。でも小田原城の追加指定部分って、そういえば行ったことがないところばかり。百姓曲輪・・・なるほど。ここか。あんなに何回も行ってる小田原城なのに、ここには確かに行ったことがありません。他のお城も含め、また改めて訪ねてみたいと思う、いいきっかけを頂いたような気がします。国史跡指定ばかりがそのお城の価値を決めるわけではありませんが、国に選ばれたお城であることは間違いないので、全国のお城を愛するマニアとして、誇り高く胸を張って国史跡答申を祝したいと思います。

おめでとうございましたー!(まだ指定されてないけど)