佐賀市富士町、かつての佐賀郡富士町にある古湯温泉は、およそ2,200年前の伝説の人物「徐福」にまつわる伝承を持つ、文字通りの古い温泉です。徐福は秦の始皇帝の命を受け、不老不死の薬を求めて世界各地を旅したとされる伝説の人物で、日本国内にもどういうわけか結構多くの来訪伝承を残しているのですが、古湯温泉にも徐福が見つけたという言い伝えが残ります。もっともその後長いこと廃れていたようで、今のような温泉街になったのは200年ほど前のことなのだそうですが。そうすると古湯城が存在していた頃(まあ普通に考えて16世紀)には、古湯には湯が出ていなかったのかもしれません。まさに古湯ですね。

 


古湯城の歴史はよくわからないようです。古湯氏なる一族がいたともされますが、古湯氏は古湯城にまつわる事項以外には検索しても何もヒットしないようです。古湯城の城域も展望公園としてかなりの改変を受けているようで古い姿はよくわかりません。現地には数か所、古湯城の想像図や縄張図を掲載していたと思しき看板が立っているのですが、そのほとんどが既に「ホワイトボード」と化していて、何を伝えて頂いていたのかは現在では全く伝わりません(涙)。

 


古湯城には、古湯城の裏手の方へと登って行く車道から取り付く形になります。かなり上まで車で行けるので楽々だろう、と思ったら、これもそこから結構登るんですね。この日は岩門城といい安楽平城といい、曲渕城といい三瀬城といい、みんなそんな感じのお城ばかりでした。疲れたー(笑)。

 


改変されている中ではありますが、ここがお城だったことを窺わせる場所は随所に見られます。中腹に無駄に設けられた平場とか、虎口を思わせるカーブとか。極めつけは山頂近くの斜面に残された石垣。

 

 

わざわざ石垣を示す標柱まで立ててくれてありますので、その場所はすぐにわかります(標柱の下の斜面に降りなければ見えないのですが、ここがかなりな急斜面なので降りてみる方はよくよくお気を付けください)。これは適当に積まれたものではなく、ちゃんと積まれた石垣に見えます。どうしてここだけに残されているのか、どうしてそんな石垣がここに築かれるに至ったのかは全く見当がつきませんでしたが、ここ以外に本格的な石垣遺構がないのであれば、山上部分に通じる門がこちら側に開いていたとか、そんな用途が考えられなくもありませんね。何かしらのアイデアをお持ちの方はぜひ教えてください。謎多きお城なので、考えるのは自由です(笑)。