初めて片倉城を訪れたのは、mixiのお城めぐりしよう!コミュで開催された「全国一斉お城月間」の時のこと。

 

 

対象となる1ヶ月の間に、同一都道府県内のお城をいくつ回れたかを競い、一番多く回れた人をその都道府県の「国主」とする、といった愉快なイベントに際し、当時まだそれほど自由に歩き回れなかった筆者は、会社からの帰路に少しずつ寄り道をして東京都内のお城を順次訪ねて、見事「東京都」を獲得しました。その際、唯一使えた休日に鉄道を駆使して訪ねて行ったのが高幡城や谷保の城山(三田氏館)。片倉城もその一環で、京王片倉駅からてくてく歩いてお城に至りました。もっとも当時はお城を隅々まで見ようという意識があまりなく、本丸と二の丸の間に残る底の浅い堀を見て、それだけでそれなりに感動して帰ったという記憶です。

 

 


それから10年以上が経過して、最近になって片倉城を訪ねてみたら、まずその本格的な山城っぷりに感激しました。初めて見て回るエリアが多かったせいもあって、ほぼほぼ初めて見たお城といった印象を持った一方で、前回感動した本丸と二の丸の間の薄い堀が草に覆われていたことに時の無常みたいなものを感じてみたり。

 

三つ上の写真の橋、見えますかね・・・

 

片倉城は深大寺城と同様に上杉氏によって整備され、後北条氏には顧みられなかったお城と捉える考え方が主流になっていると思いますが、横堀をぐねぐねと巡らせて切岸を際立たせる構造は手が込んでいて、(上杉の城である、との前提に立てば)上杉の城作りも本当にすごいなあと思います。まあ後北条の修築って言いたくはなりますよね(筆者は否定したいですが)。

 


城内に立つ住吉神社には、「一文字に三ツ星」の紋が飾られています。毛利氏の家紋として有名な紋ですが、もともとこれは毛利氏の祖先であった大江氏が用いていたもので、片倉城にいたと伝わる長井氏もまた大江氏の後裔でした。社伝によれば応安5(1372)年、長井道広によって城の鎮守として祀られたのが住吉神社の始まりだそうですから、「一文字に三ツ星」でよいわけなんですよね。歴史は深いなあ。