和歌山市の市街地から北西に向かって紀ノ川を渡った先に、貴志と呼ばれる一角があります。貴志という地名は現在存在しないのですが、学校の名(貴志小学校、貴志南小学校)などにその名を残すこの地域に貴志氏という土豪がいて、貴志教信なる人物によって居住されていたとされるのが中野城です。貴志教信は、筆者の知る限りでは「中野城の城主であった」という以上には登場しないようなので、そもそも実在しているかどうかも危なっかしい感はあるのですが、貴志と呼ばれるこのエリアに貴志という武士がいたことを否定するだけの根拠もないでしょう。天正年間には雑賀衆の拠点のひとつとなり、織田勢の猛攻を受けて陥落、中野城は織田信忠の陣所として用いられたとも伝わります。

 


中野城があったとされる場所は現在、大型ショッピングモール「和歌山パームシティ」の駐車場に隣接する形となっていて、駐車場と民家との間が一段低いのが堀の跡だと伝わるそうです。確かに堀の風情はありますよね。付近は何か所か発掘調査も行われていて、貴志南小学校の校庭からは大溝も発見されているそうですが、これはどうやら城館に由来する遺構ではなさそう、とのことで、中野城の全体像は未だ謎ということになります。実は案外小さい城館だったんじゃないかな、といった見方もあるようですが、こればっかりは周辺調査が進まないとなんともわかりませんよね。それでもここに中野城があったということと、そこに堀跡が残されている、ということが貴重だと思います。堀跡が堀跡と認識されなくなり、いつの間にかなくなっているといったことがないように、しっかり見守っていきたいものです。