田辺城を見てさてさて宿に入ろうと思ったところで、道端に「台場」の文字を見たような気がして、引き返して看板を見つめ直してみたら確かに「台場」とありました。「和歌山県のお城総覧」をこしらえている過程で、自分でも「田辺市には扇ヶ浜台場がある」と記載しているにも関わらず、この「台場」が扇ヶ浜台場であることを再認識したのは帰宅してからのことでした。あー情けない(笑)。

 


扇ヶ浜台場は、田辺領の安藤家(紀州徳川家附家老)の発案で、和歌山藩の許可を得て構築された幕末の台場です。正確なところは調べ切れていませんが、お台場と言われて通常想像するような四角形や五角形のそれではなく、直線的な堰堤の上に大砲をしつらえた文字通りの「砲台」だったようです。でも高さ9mにも及ぶ、との記録もあるようですから、規模は相当なものだったのでしょう。藩命を受けて設計施工に当たったのは田辺在住の軍学者・柏木兵右衛門なる人物。佐久間象山のもとで近代軍学を学んだという本格派で、試射された大砲の玉は遥か先の白浜半島の番所近くまで飛んだとされています。ちなみに白浜半島の先端(今でも「番所山公園」にその名を残す)の番所と扇ヶ浜台場との直線距離は5kmちょっとありますので、これはなかなか大した射程距離だったのではないでしょうか。本格的な砲台であったことがこの一事からも推察できます。
もちろん他の多くのお台場同様、このお台場も実戦で使用されることなく閉鎖され、土取りによってその大半が消滅したとされています。お台場があった跡地にはカトリック教会が建てられていて、その敷地は隣接する道路から一段高いところにあるのですが、この高低差が果たしてお台場のものなのかどうか。希望的観測では「そうだ」と言いたいところですが、何しろ土取りがなされているようですから・・・。ただそういう目で見てみると、なんとなくお台場跡地っぽく見えるんですけどね(笑)。