田辺城は紀州徳川家の附家老であった安藤氏が代々居住したお城です。紀州がまだ浅野家の支配下にあった頃、浅野家の重臣であった浅野氏重が築いたのが最初だそうで、浅野氏が広島に去った後、紀州徳川家が誕生するに際して附家老となった安藤直次が田辺城に入り、以後代々安藤家の城になったという次第です。徳川御三家の附家老はもともと徳川家の直臣だったものを御三家に振り替えられ(陪臣化され)たものなので、どこの家も本音は大名になりたかったみたいです。特に有力だった附家老五家(紀州の安藤家と水野家、尾張の成瀬家と竹腰家、水戸の中山家)は明治になって揃って独立大名になっていますので、紀伊田辺藩という藩も(ごく短期間ながら)確実に存在していました。

 


そんな田辺城ですからもう少し遺構が残っていてもよさそうに思わなくもないのですが、現状は「水門」の他、城域南面の「段差」が辛うじてお城の名残を留めているくらいです。絵図で見ると堀なんかもあったみたいですが、ものの見事に住宅地に埋もれてしまいましたね。水門だけはそれなりに有名で、「田辺城」と言えば「水門」というくらい(それしか残っていないといえばそれまでですがw)。地下に設けられた埋門のような形で、周辺の石垣も相当新しくて実はあんまりお城っぽくはないのですが、水門という構築物そのものは間違いなく江戸時代からそこにありました。なかなか水門だけを見に田辺に行こうとは思わないかと思いますが、珍しい構造であることは間違いないので、何かの機会に(ついででよいので)一度は訪れて頂きたいなあと思います。