龍松山城を構えた紀州の有力国人・山本氏が平時の居館としていたとされるのが坂本付城です。平時の平城と有事の山城(詰城)という関係がどれくらい実態を伴っていたのかがわかりにくくなっている昨今、富田川に隔てられている龍松山城と坂本付城が果たして平時の居館と詰めの城という役割を果たし得たかも怪しいところではあるのですが、江戸時代の地誌などでは山本氏の居館が龍松山城の対岸の段丘上に存在していたことが記されており、長く「坂本付城推定地」として地元でも認識されてきたところではあります。

 

 

そんな坂本付城に調査のメスが入ったのが2018年のことらしく、当時の新聞記事が今も検索できます。それによれば坂本付城推定地から実際に土塁の基底部と堀が見つかったとのことで、この地に概ね70m×100mの城館があったことが確かなものとなりました。それを受け、かつては何の表示もなかったらしい坂本付城には、道標や案内看板が設けられるようになりました。
筆者が訪ねた際にもおかげで大変見つけやすい城館となっていたのですが、何しろ地表面には痕跡がなく(航空写真では堀があるようにも見えますが、現地では何もわかりません)、周辺道路も大変狭いので車を置くところも限られます。筆者は写真の消火栓があるところ(案内看板があるところ)に無理やり車を押し込んだのですが、消火栓の手前(井戸かな)が無駄に高くなっていますので、うっかりしていると車をぶつけます(筆者もぶつけましたw(傷はつきませんでしたけど・・・))。車で行かないと不便ですが、車で行っても不便な城館です(汗)。