安宅勝山城は安宅氏城館群の中では群を抜いて比高が高く、登城路も悪路なのでかなりな覚悟がいるという話を聞きましたが、最近になって登城路が非常に分かりやすくなったという話も同時に聞こえてきたので、登るか登らないかは現地で山を見上げて決めよう!と思いながら山を見上げました。

 


・・・なるほど高い(笑)。
でもまあ、登れない高さでもないし、まだ十分に日は高いぞ、ということで、噂の登城路へと足を運びました。ところが・・・登り始めてすぐにぼうぼうの草に阻まれ、目印となるはずの索道のレールすらどこにあるのか分からない始末。こうなってくると「索道の隣を登る」と聞いていた登城ルート自体がこれで合っているのかと不安になり、暫く進んでも一向に事態は改善されないので、ついに諦めて下山することに。ほんの一週間か二週間ほどの差で同じ安宅勝山城を訪ねた城仲間さんの写真を見たら、間違いなく筆者が見た索道脇のルートが見事に伐採されていて、何の問題もなく城域まで達することができたのだとか。あーうらやましい(笑)。

 

ここまではよかったんだけどなあ


安宅勝山城は国史跡指定の対象からは漏れていますが、追加指定候補になっているようです。安宅本城を守る支城のひとつと捉えられていて、安宅氏内紛の折にはここに立て籠もった一派もいたとか。また、この内紛に勝った側の城を「勝山城」、負けた方を「負山城」と呼んだという地元の伝承があるとかないとか。勝ち負けはともかく、勝山城が内紛の舞台となっていたという記憶は、こうした伝承によって語り継がれてきました。安宅本城を挟んで北側にある安宅八幡山城でも焼土層が確認されており、16世紀前半に勃発した安宅氏の内紛は相当すさまじかったことが推測できます。後から思えば一族で争ってる場合じゃなかったはずなんですけどね。こういうのは理屈ではないですもんね。
まだ筆者も辿り着けていない安宅勝山城ですが、山頂には二つの四角い曲輪が並び、土塁の内側には石垣が施され、何重にも施された堀切にも石積みが見られるのだそうです。この石積み堀切がこのお城最大の魅力と言われているので、一度は実際に見てみなければいけないなーと思います。次回訪問時には草がないといいなあ。