安宅土井城は安宅中山城と目と鼻の先にあって、字名は同じ田野井です。ならば田野井を苗字の地とする田井氏がこちらも利用していたと考えてもよさそうなものですが、土井城は土井城で安宅氏の一族の中に土井を名乗った系統があるようですので、城名との組み合わせで考えれば安宅土井城は土井氏の城、ということになります。

 

 

このお城は安宅氏城館群の中にあっても一風変わっています。まず山麓に向けて二重の横堀を入れていること。そして土塁や堀の内側のかなりの部分に石垣を用いていること。

 

 

安宅各城ともに石の使用が全くないというわけでもないのですが、土井城の石の使用量は他のお城と比べても群を抜いています。土井城のある山が岩山なので石がふんだんに取れたという要素はあるとしても、これだけ突出して石垣が多いと、お城としてよりも寺院などとしての目的の方が勝っていたような気がしなくもありませんね。横堀と、主郭の奥にある四重の堀切は明確に城郭施設ですから、横堀に付随する石垣も城郭施設、ということになりますので、そう考えるとまあ納得するしかないのですが、でもなんか変だなあ。

 

まあこれはやっぱりお城の石垣ですわな。


城内には明瞭に城郭ではなく宗教施設に伴う石列遺構なども残ります。

 

このへんは宗教施設ですわな。

 

なのでこのお城、いよいよややっこしいです。国史跡指定時にも発掘調査は行われておらず、表面採集によって15~16世紀の備前焼の甕みたいなものが見つかっているだけなのだそうですが、備前焼の時代編年自体は安宅氏や土井氏の時代でよい感じです。もちろん土井城が土井氏の城として使われていたこと自体は事実だと思いますのでそれはよいのですが、さてさてどこまでがお城なのか。この時訪ねた安宅氏城館の中では「石」という特異な部分があるだけに、いろいろ思いを巡らせてしまいました。なーんにも結論が出ていないのではありますが。