2024年4月6日の「城の日」に、勝間田城(静岡県)で落城から548年目を記念する(?)イベントが行われ、静岡県立榛原高校書道部による華麗なる書道パフォーマンスなども披露される中、勝間田城ご案内の大役を3年連続で仰せつかりました。

 

いざ、勝間田城へ!

(背景が茶畑なのが、なるほどいかにも静岡ですなあ)

 

過去2年は静岡古城研究会の望月会長との二人三脚だったのですが、今年は都合により筆者1名でのご案内となりました。参加者は申込書ベースで75枚分。体感ではもう少し多くの方がいらっしゃったような気がするのですが、これだけの方を一人でご案内したのはさすがに初めてのことでしたので、最後まで筆者のお話しに興味を持ち続けて頂けるかが不安でしたが、なんとかなんとか無事に終えることが出来たように思います。

 

ポーズはよくわかりませんが一所懸命やってます。

うしろは有名な「五重堀切」の一部です。

 

4年前に静岡古城研究会の機関誌「古城」第64号に「勝間田城の年代観」という論文を寄稿したのがきっかけで、このような機会を頂くことになってはや3年。毎年大勢の方にご参加頂けて本当にありがたく思います。

冒頭に548年(?)と「?」をつけているのは、548年の起点となっているのが勝間田城落城としての通説「文明8(1476)年」に拠っているからです。上記論文で筆者は勝間田城の存続期間をもう少しうしろ(1500年代の初め頃)と見ているので、筆者の説に厳密に従うと「548年」が根拠を失ってしまうから(笑)。更に、勝間田城にはずっと後世(1500年代の後半)に武田氏が使用したという説が根強く残っています(筆者は全否定していますが)ので、いよいよ「548年」って何なんだ・・・とはなるのですが、まあそれくらい難しいのです。勝間田城は。詳細と筆者の見解はぜひ論文をご覧ください。見付端城(磐田市)を袋井市とする致命的な間違いが見つかっている論文ではありますが(大汗)。

 

今日の説明会の冒頭で概説させて頂いた通り、勝間田城は勝間田にあって勝間田を苗字の地とした勝間田氏のお城であったという事実にはいささかも揺るぎがありません。木簡によってこのお城に兵糧が運び込まれていたこと、その木簡に記載されていた字名のあたりに実際に勝間田城に兵糧を運び込んだ時の伝承が残されていたことなど、勝間田城には興味深い逸話が沢山詰まっています。現地説明会では到底お話ししきれないので、いつか機会を頂けるようでしたら今度は講演会の形でお話しする機会を頂きたいなーと思っています。ぜひやってほしい!という声が大きければ大きいほど、実現に近づくと思いますので、ぜひ声を大にして「講演会やってくれー」と騒いで頂ければ有難い限りです(笑)。

 

沢山の方にお集まり頂き、ありがとうございました!

 

さて宣伝はさておき(汗)、本日は沢山の方にお集まり頂き、誠にありがとうございました。ここ数日天気がぐずついていましたが、雨にも降られずよい一日となりました。桜も綺麗でしたしね。

来年もまた同様の機会に恵まれましたら、楽しくご案内させて頂きます。