小山市塚崎には中世城館が二つ(塚田館と(仮称)塚崎館)あるようですが、一般に認められているのは塚田館で、塚崎にある氷川神社の参道脇に「塚田館」の石碑が立てられています。

 

正面やや左の石碑が城址碑

 

氷川神社の境内にはうっすらと堀のような窪地が見受けられ、おぼろげながら中世城館らしい姿を残しているようにも感じられます。

 

うっすら・・


塚田館に居住していた塚田氏は小山氏の一族です。小山氏4代当主であった小山長村(文永6(1269)年没)の三男に小山宗光という人物がいて、塚田に住んだことから塚田宗光と名乗ったのが塚田氏の始まりなのだそうで、以後も小山氏が浮かんだり沈んだりする中でずっと小山氏の重臣として仕え続け、小山氏が後北条氏と運命を共にして没落した際に帰農したと伝えられているようです。祇園城の本丸と「城山公園駐車場」との間にある芝生広場は「塚田曲輪」と称されていますが、これが塚田館の塚田氏に関連するものと言われていますので、小山家中における塚田氏の位置づけは相当に重いものであったことが伺えます。鎌倉時代に小山氏と塚田氏が分かれた後もずっと姻戚関係にあったのでしょうね。戦国時代の塚田氏が祇園城と塚田館のどちらを主な居住地としていたのかは定かではありませんが、小山氏の一門衆としての塚田氏の苗字の地、という歴史を有する塚田館は、遺構が濃いとか薄いとかとは関係なく、貴重な歴史を伝えていると言えるのでしょう。