加越国境を越える主要な街道筋であった田近越、小原越、二俣越は、三本とも「歴史の道百選」に指定されていますが、中でも小原越はその街道を封鎖・監視する二つのお城(松根城、切山城)とともに「加越国境城跡群及び道」として国の史跡に指定されました。

 

 

この指定方法、素晴らしいですよね、「城跡群」及び「道」!「松根城、切山城、小原越」ではなく「城跡群」及び「道」と指定したところに文化庁の芸の細かさが詰まっているような気がします。つまり、現状において調査及び整備が進んでいるのは小原越ですが、将来的には田近越、二俣越それぞれの城跡群と道をも史跡の範囲に追加される余地を残したものと筆者は解釈しています。それほどに加越国境地帯の城砦群からは緊迫感が伝わってきますし、当時の軍事的緊張が非常なる異常事態であったことを雄弁に物語るものでもあるのでしょう。

 


賤ヶ岳の戦いの後、小牧長久手の戦いに至るまでの間の加越国境は、羽柴方についた前田氏と織田信雄・徳川家康連合に接近していた佐々氏との間でまさに一触即発の軍事的緊張に晒されます。松根城は切山城ともどもこの頃に整備構築されたものと推察されます。築城主体は佐々成政。前田方の不破氏が拠った切山城と対峙する形で築かれた松根城は、加越国境ぎりぎりのところに設けられました。それはつまり、松根城が破られたら国境線が犯されるということでもあり、国境線そのものは前田側ではなく佐々側が制圧していたということでもあります。このお城を当初調べていた際には「金沢市」と出てきたので、松根城も切山城も加賀側に設けられたものと理解し、それ故に当初は松根城と切山城の築城主体を取り違えたりもしていたのですが、松根城の半分くらいは間違いなく越中側に入っています。従って現在の行政区割りで見ても、松根城は「石川県金沢市」に属する部分と「富山県小矢部市」に属する部分とが存在します。「城をやる」では、県境に存在するお城についてはその両県のページからリンクを貼るようにしていて、例えば玄蕃尾城(福井県と滋賀県)や足柄城(静岡県と神奈川県)などがそうしたケースに該当します。松根城も石川県、富山県の両方に登録しておきますので、どちらからでもお好きなようにお越しくださいませ。ちなみに松根城からは東に向けて高岡市街への眺望が開けていますが、西に向けてもたぶん金沢市街だろうと思われる街並みへの眺望が開けています。まさに加越国境両にらみの好立地にあることが、現地に立つと説得力を持って理解できます。

 


佐々家の性格なのか、緊張度合いが前田側より強いのか、松根城は切山城より数段厳しいお城に仕上がっているような気がします。何といいますか、近づいたものを殲滅してやるぞ、といった覚悟が縄張からびしびし伝わってくるんです。よく言えば隙がなく、悪く言えば余裕がない感じ。先に見てきた切山城の方が、どことなく余裕がありました。街道遮断の方法も同様で、切山城は江戸時代の関所などでもよく見られるように、街道自体は残しつつ、街道の両脇を堀で封鎖しているようなのですが、松根城は街道そのものをすっぱりと大堀切で断ち切っています。これだけ明瞭に街道筋をぶった切っている事例は、ありそうでなかなかないのだそうで、そういうところにも松根城の隙の無さというか余裕の無さが漂っている感じです。もちろん、お城として見る分には松根城の方が数段面白いわけですが。

 



切山城と同様、松根城も綺麗に整備されていますので、ぜひぜひワンセットでお訪ねください。この両城はワンセットで訪ねてこそ、その意味が理解できるお城なのだと思います。