二度目の訪問となった浜田城。本丸からの眺めと残存石垣の状況をさらっと眺めたところで、
「←資料館」
の看板が目に入りました。そうか。浜田城には資料館があったんですね(汗)。これまで1,700城ほどのお城を訪ねている筆者ですが、必ずしも資料館には立ち寄ってこなかったので、前回訪問の際には資料館の存在すら目に入りませんでした。山の下にあるようなので、車で山を下りて資料館にも立ち寄ることに。行ってみたらこれがすごい建物でした。遠目に見てもいやに重厚な日本建築だなあと思ったのですが、それもそのはず。この建物は「御便殿(ごべんでん、ごびんでん)」と呼ばれる由緒正しき建築でした。御便殿とは、天皇家が地方行脚する際にその宿所として造営された建物のことで、浜田の御便殿は明治40(1907)年に皇太子(後の大正天皇)の宿泊用に造営されました。こうした御便殿で現存しているものは浜田のほか、石川県の和倉温泉に残されたものの二例しかないのだそうです。めっちゃ貴重な建物ではないですか、これ!なんとなんと筆者、この建物の写真を撮ってないんです!うそだろー!
ちなみに御便殿の名称が用いられるのは、天皇家「専用」に設けられた建物のことを指すようで、明治40年の皇太子さまは鳥取城の仁風閣や松江城の興雲閣などにも宿泊されていますが、これらは旧藩主の邸宅としての機能も兼ねており、御便殿とは言わないのだとか。浜田城の御便殿、ますますすごいではないですか。
この御便殿、かつては浜田藩主松平氏の庭園の中に設けられました。庭園の池などは昭和まで残っていたそうですが埋め立てられ、現在は宗教団体の敷地になっています。御便殿もこの団体が所有していたそうですが、浜田市に寄贈されて現在の資料館になったのだとか。有難いことですね。
浜田城をダイレクトに訪ねてしまうと、山麓の資料館にはその存在にすら気が付かないかもしれません。浜田城にお越しの際には、厳密にはお城とは無関係ではあるもののそれはそれで貴重な建物である御便殿がある、ということをぜひお忘れなく、できればお立ち寄り頂ければと思います。