2022年の幕開けは特に奇をてらうでもなく、普通に淡路のお城の続きからの公開です。ただ養宜館は普通の城館とはちょっと毛色が異なりますので、特別と言えば特別かもしれませんね。私はこの館に何の予備知識もなく辿り着いてしまいましたので、お城仲間の皆様が「ああ、ここだここだ」と言っているのをぼーっと眺めるだけのところからのスタートとなりました。しかし、城域に入る際に城域の東側を仕切っていた土塁のサイズ感には「おおっ」となり、このお城の「タダモノではない」感はすぐに感じ取ることができました。東側から北側へと土塁に沿って歩を進め、西側へと回ったところで民家の間の土盛りを見て、誰かが「あれはまさか土塁じゃないですよね?」と。

 

見ればその土盛りには目の粗い砂利が混じっています。周辺が畑であることを考えると、これだけ目の粗い砂利がこの土盛りにだけ自然に入り込むことはありませんので、これは土塁、いやもしかしたら築地であった可能性もあるように感じました。後で聞いたお話では、この館を東西に貫く通路が土塁を突き抜けるところには、東西それぞれにかなり厳重な虎口が設けられていた様子が古図と古写真から窺えるそうです。特に東側は土塁が館側に入り込んでいて、一種の外枡形的な空間が形成されていたのだとか。

 

養宜館の入口看板が立つ東側の虎口の土塁は今でも確かに館側に入り込んでいますので、ここに何らかの空間があった様子が現状でもわかるはずです。私も現地ではさすがにそこまで気付きませんでしたけれども・・・。
養宜館は、淡路守護細川氏の守護所があった場所なのではないかと推察されています。長方形の方形居館がいかにも古めかしく、周辺にも家臣団の居館と思われる〇〇館と呼ばれる字名が点在していることがその根拠となっているようですが、残念ながら考古学的には細川氏時代に比定される遺物が未だ出土していないのだそうです。ただ現地で見たこの館の「タダモノでなない」感はかなり確かなものでしたし、淡路守護の蜂須賀氏がわざわざ保全措置を採ったという話も併せて考えれば、この館が守護所に匹敵する特別な場所であったことを否定する根拠はないでしょう。
現在は史跡指定によりこれ以上の遺構破壊は食い止められていると思いますので、あとはいつか本格的な調査の手が入り、淡路守護所の全貌が明らかになる日が来ることをわくわくしながら待ちたいと思います。