山梨県の御坂城に登り、岡山県の矢筈城に登ったところで、もうひとつくらい険しい山城を目指してみたいと思いました。選んだのが坂戸城。比高460m。目指すには十分くらいの高さです。岡山県の山城巡りで膝が若干怪しくなっていましたが、そこはそれ、まあ行ってみようということで。誤算だったのは、関東全域が晴れ予報だったので絶対に晴れていると信じて向かった魚沼地方が雨だったということで(笑)。坂戸城を見上げてみたら・・・あら?てっぺんは雲の中(爆)。

 

坂戸城は歴史上、実に重要な役割を果たしたお城です。魚沼地方は古くは新田氏の支配領域となっていましたが、越後守護の上杉氏・守護代の長尾氏によって新田氏は駆逐され、坂戸城には長尾氏の一族が入りました。この一族が上田長尾氏で、上田長尾氏は守護代の長尾氏から半ば独立した存在として大きな力を持ちますが、長尾景虎(上杉謙信)が天文20(1551)年に上田長尾氏の当主・長尾政景を服属させてからは守護代長尾氏の有力家臣となりました。長尾景虎=上杉謙信は誠に不思議な人物で、越後統一をほぼ成し遂げた段階で政務を放棄し、高野山に籠ってしまったことがあります。この時に景虎に代わって越後守護代の役割を果たしたのが長尾政景だったので、実力・人望ともに越後国内のナンバー2だったという理解で間違いないのでしょう。ところがこの政景、どういうわけか「野尻池の舟遊び」で溺死するという不可解な事件で姿を消します。暗殺説やら何やら飛び交うのはもちろんのこと、現代においてはそもそも野尻池がどこの池なのかもわからなくなってしまうという不可思議極まりない事件ですが、謙信が長尾政景の息子を自身の養子にしたのには、死んだ政景に対する何らかのうしろめたさがあったからなのでしょうか。ちなみにこの養子こそ、後に上杉景勝となる人物です。近世大名上杉氏は、上田長尾氏の子孫ということになるんですね(景勝の母・仙桃院は守護代長尾家の出身ですが)。
謙信の死後に勃発した御館の乱では、勝てば上杉氏の主導権を握ることとなる上田長尾氏は全力を挙げて景勝を支援します。御館の乱は上杉謙信の養子同士である景勝と景虎(後北条氏から養子に入った景虎で、謙信と同じ名前を貰った人物)とが相争った戦いですが、当初は景虎方絶対優位の中で進んだ争いが景勝方の勝利に収まるまでにはいくつかのターニングポイントがありました。その中のひとつが「関東(後北条)からの援軍が間に合わなかった」ことにあって、間に合わなかった要因は「坂戸城がどうしても落ちなかった」ということにありました。荒戸城を落とし、坂戸城と目と鼻の先にある樺沢城まで落としておきながら足踏みせざるを得なかった後北条方の悔しさは想像するに余りあるものがあります。坂戸城、まさに難攻不落。御館の乱がもし景虎方の勝利に終わっていたら、日本の歴史は信じられないくらいに変わっていたことでしょう(関ヶ原の戦いのきっかけを作ったとされる「直江状」もなかったでしょうね)。

 

さていよいよ登城なのですが、坂戸城というと山上の曲輪群よりもまず山麓の石垣が気になってしまいます。ここを見て、中屋敷跡を経てから山上へと登ることにしました。山麓には高さ2mほどの石垣に囲まれた見事な居館跡が残ります。「御館跡」と呼ばれるこの部分は上田長尾氏のものではなく、上杉氏が会津に移った後に坂戸に入った堀直寄によって築かれたものとされています。中屋敷跡に残る枡形状の遺構も含め、近世的な風情が漂うエリアです。この中屋敷を通り抜け、尾根筋のルートで山上を目指すことにしました。いやしかしこの道が長い長い(笑)。比高が400m以上あるので当然と言えば当然なのですが、黙々と、ただひたすら急坂を直線的に登り続けるこのルートはしんどいですね。トレイルランをやっている人に3人くらいすれ違いましたが、要するにそういうルートです。そうやって苦労して辿り着いた山頂は・・・はい。そうです。やっぱり雲の中(笑)。
雲の中にぼんやり見えるのは、富士権現堂の建物です。周辺ではこんな天気にも関わらず人影がちらほらあって、びっくりしたのは雨傘に長靴という無造作な恰好の人が大股で坂を下りていく姿。この山を管理していらっしゃる方なのだと思いますが、足元がぬかるむ中で傘を差してよくあの速度で歩けるな、と感心してしまいました。あの姿を見てから、私も少し歩く速度が早くなったのですが、何気ないこのスピードアップが後で悲劇を招くことになろうとは・・・
富士権現の向こう側には何段かの曲輪があって、段差には石が積まれています。坂戸城は石で固められていたんですね。この石垣、予備知識なく訪れると、「お?おお、おおおー!」と三段階で楽しめるようになっています(笑)。これだけの高所にこれだけの普請を施した当時の人々の苦労を思い、詰めの城とか大城とか古城とか呼ばれるエリアの土塁も眺めて、やっと充実感に浸れたと思ったその瞬間「ずるっ!どてっ!ずざーっ!」
いやいや、これだけ派手に転んだのは久しぶりじゃないですかね。たぶん宮崎県の穆佐城以来。かっこつけて早く歩くんじゃなかった(涙)。そこからは微妙にテンションも下がり気味になりつつ、細々と下山してまいりました。結論。雨の日の坂戸城は危ないということ(当たり前)。でもまあ、登れてよかったです。足が達者なうちに、もう暫くキツメの山城を攻めておきたいと思います。なお、坂戸城は遊歩道はしっかりしていますが、連続竪堀などは遊歩道から外れています。お城としての坂戸城を心行くまで楽しみたかったら、やっぱり草が枯れている時期で、かつ雪のない時期がよいのだということも、登ってみてよくわかりました。