昨今、空前のお城ブームなのです。
昭和30年代にもお城ブームが到来したのですが、この時は専ら「お城=天守」の時代で、存在しないはずの天守がとりあえずあちこちに建てられた時代でした。
今起きているブームはかなり本格的で、できるだけかつての姿に近づけようと、忠実な再現を試みているわけです。これはとっても喜ばしいことだと思っています。

・・・ただ。

やみくもな復元は周囲の風景(それは現代の風景)とは明らかにミスマッチなわけで、いい感じに古びて周囲の風景に溶け込んでいた遺跡や遺構を、単なる鑑賞物に変えてしまう恐れもあるわけです。

写真は、数年前の小田城(茨城県)と最近の小田城。





かつての土塁の名残が埋められ、新たな土塁が「盛られた」ことがわかりますね。

本丸の風景は、こんな感じでした。



荒涼としたこの雰囲気が大好きだったんですが、ここも今、着々と復元整備が進んでいます。
この写真と同じアングルで撮ろうとすると、恐らくは復元土塁に遮られ、本丸を写すことはできなくなっていることでしょう。

復元しなければ見えないものもあり。
でも、復元すると見えなくなることもあり。

30年前、高校の修学旅行の後で記したノートの中の「川原寺(奈良県)」の項に、こんな一節が残っています。

「川原寺についておや?と思った。足元の礎石がへこむのだ。『にせものだ!』興奮して私は叫ぶ。そのあとは仲間でにせものさがしとなった。礎石を一個一個踏んでみる。実に大半は樹脂製であった。これに嫌気がさし、ここはすべての礎石を踏みつけただけで帰ってしまった。が、この時の我々の行動は正しいのかどうか?にせものであることを蔑みたくなるのは事実である。しかし、このように復元してみるのもまた大切なことではないか。ただ、そう考えるには、その景色が少々殺風景すぎた。菜の花に囲まれた弘福寺はどこにいってしまったのだろう。復元によって却って景観を奪われた川原寺は、せっかく飛鳥を訪れた人々を素通りさせてゆく。これでいいのだろうか。今は、これ以上深く考えずに、亀石を目指すことにした。」

この時に感じた疑問は、30年が経った今もなお、私の中で整理がつかずにいます。