こんにちは。

今回のブログは、思考力クラス担当講師の藤田和彦がお届けします。
 
 
前回の思考力ブログに引き続き、
わが子の教育という視点から考える「城山八訓」。
 
今回は、「二、短い返事 素直な心で学びます」について、書いていきます。
 
 
 
今回の「一訓」、
前半の「短い返事」については、その意義もわかりやすいのではないでしょうか。
 
私なんかも、
内心、納得いってないことについては、「はい」のつもりが、「はぁい」になってしまいます。
 
心のありようが、そのまま、返事の長さに現れてしまうようです。
反対に、形から入ることで、心のありようも変えられるかもしれません。
私も、まだまだ修行が必要です。

 
 
 
今回のブログで、詳しく掘り下げていきたいのは、
後半の「素直な心」についてです。
 
 
そもそも、「素直」とは、どういう状態のことなのでしょうか。
 
辞書によると、
「素直」について

新選 国語辞典 第七版(小学館)では、
①捻くれたところがなく、人に逆らったりしないようす。純情・純真。「ーな性格」「ーに言うことを聞く」
②くせのないようす。「ーな髪」「ーな文字」

岩波 国語辞典 第三版(岩波書店)では、
考え・態度・動作が真っ直ぐなこと。(イ)ひがんだ所がなく、人に逆らわないこと。心が純真さを失っていないこと。「ーな子」「忠告をーに聞く」(ロ)技芸などに癖がないこと。「ーな字を書く」

と書かれています。


今回の「素直に学ぶ」の「素直」は、
ともに、前者の意味で使われているものです。

ちなみに、辞書の説明の中にある「純真」については、
「心にけがれやかざりけがないようす。」(新選 国語辞典 第七版)
「不純なもの、特に邪念や私欲がないこと。」(岩波 国語辞典 第三版)
と記されています。
 
 
つまり、学ぶ上で大切となる「素直」というのは、
「教えてもらったことを、逆らうことなく、そのまま真っ直ぐに受け止める態度」である、と考えることができます。
 
 
 
そして、この「素直さ」は、
学びを深めたり、ものごとの上達を考える上で、
ものすごく大切です。
 
これは、実際に「教える側」に立ったことがある方は、よくわかるはずです。
 
 
 
私が、お子さまたちに向けて授業をしていても、
伝えたアドバイスを聞いて、すぐに取り組み方を修正するお子さまは、
その授業内だけでも、明らかな「上達」を実感できます。
 
「ちょっと教わっただけで、すぐにできるようになる」という人は、
みな一様に、素直に言われたことを実践しているのではないでしょうか。
 
 
反対に、
「自分はこうしたいんだ」というこだわりが強いお子さまの場合、
アドバイスを聞き入れない、ということもあります。
 
たとえ、基本的な理解力が高くても、
どこかで伸び悩む傾向にあるのが、このタイプの「我が強い」お子さまです。
 
 
「僕が(私が)こうしたい」というのは、
まさに「私欲」であり、心が純真な様子ではありません。
つまり、「素直な心で学ぶ」状態ではない、と言えます。
 
 
「学ぶ」という言葉は、「真似(まね)ぶ」という言葉から来ており、
本来は、模倣をすることがもととなっています。
 
自分の「やりたい」を追求するのは、
「守・破・離」でいうところの「離」にあたります。
 
これは、学習者として正しい態度ではありません。
 
 
 
もちろん、学習の際に「こだわり」が出てしまうこと自体は、
生まれてから、まだわずか数年であるお子さまたちにとって、無理からぬ話です。
 
そのようなお子さまたちが、しかしながら、生き方の土台を作る幼児期において、
適切な「学びの姿勢」を身につけていこうとしているのです。
 
お子さまたちと学びの時間を共有するにあたって、
私は、そのように学びの土台を身につけていこうと頑張っているお子さまたちに、
敬意をもって、向き合うようにしています。
 
 
 
  

 
さて、ひるがえって、私たち大人にとっての「素直な心で学びます」です。
 
この言葉は、子どもたちよりも、私たち大人こそ、大切にすべき言葉であるように思います。
 
 
なぜならば、年齢や立場が上であるほど、
「自分は正しくなければならない」という枷を、自らはめてしまうからです。
 
 
たとえば、親子の関係において、
「親は、子に正しさを教えなければならない」という信念を強くもっていると、
 
ふとしたときに、わが子に誤りを指摘されたときに、
「正しい親としての自分像」が揺らいでしまいます。
 
そこで、「正しい親」である自己を正当化するために、
言い訳という自己弁護に走ってしまうのです。
 
 
 
わが子に
「脱いだ靴は揃えなきゃだよ。」
「そんな乱暴な言葉づかいは良くないよ。」
と言われて、
 
「ほんとだ、いけないね。ごめんね。教えてくれてありがとう。」
と言える自分でいられているでしょうか。
 
 
「今は急いでたから仕方ないの!」
「なんでそんなふうに言われてるのか考えなさい!」
などと、返してはいないでしょうか。
 
 

 
 
 
わが子の最善の成長を考えると、親は「常に正しくあるべき」だとも思えるものです。
 
しかしながら、大人も、ときに間違えます。
私などは、歳を重ねれば重ねるほど、自らの中途半端さや至らなさを痛感しております。
 
完璧な人間には、到底なりきれない以上、
せめて、そのことを自覚し、自認しておかなければいけないなというのが、
このところ、もっぱら思うことでもあります。
 
そして、自身を「完璧な存在」と勘違いしてくれているわが子のためにも、
少なくとも、自分の間違いや至らなさを、素直に認めることくらいは、できる自分でありたいなと、思うばかりです。
 
  
 
大人として、親として、年長者として、
「知っていなければならない」
「できていなければいけない」
「優れていなければいけない」
 
そんな、こだわり・見栄・プライドは、
捨ててしまった方が、柔軟な生き方ができるようになりそうです。
 
 
 
幼稚園で、あるいはご家庭で、お習い事で、
日々、新しいことを学んでいるお子さまたちにならい、
私たちも、日々、学びを更新していけるように「素直な心」をもっておきたいものです。




今回は、城山八訓のふたつめ、
「二、短い返事 素直な心で学びます」について考えてみました。
 
次回は、
「三、何事も 使い切る生き方はしません」
についてです。