島に移住して、まだ、半年も経っていないのですが、島の方々と仲良くしようとすると、どうしても交際費が発生します。
飲食店にいかず、海や山など自然の中に行くにしても、移動費やらお弁当やらでお金はかかり、決してゼロ円では済みません。
自分一人だけなら歩いて自然の中に入って、一切飲み食いせず、服も着ず、サンダルも履かないで、満喫することは不可能ではないのですが、そこに相手がいると、つまり、交際になると、少なからずお金はかかるのです。
若者の犯罪で、
『遊ぶ金欲しさにやった』
という供述をよく耳にしますが、きっと交際費が捻出できなくて万引きや窃盗をしたという若い犯罪者は多いのではないかと推察します。
最初の誰かが言った
『遊ぶ金欲しさにやった』
という文言を、ボキャブラリーの無い若さゆえ、模倣し言っているだけで、正しくは、
『交際費に困って罪を犯してしまった』
ではないのでしょうか。
僕は現在、39歳で定職にも就いており、周囲の人間も収入のある方達なので、交際費をなんとか工面できます。
たとえ、僕に交際費が無くても、収入のある周りの方々が貸してくれたり、御馳走してくれたりして、交際できるのですが、定職に就いていない、或いは、低賃金で雇われている若者は交際費を捻出できなくて、罪を犯すのだと思うのです。
犯罪者の周りの人間も同じような経済的環境の中にあり、お金に余裕がなく貸してあげる余裕も、ましてや、奢る余裕など微塵も無い状態で交際するのですから、犯罪に手を出してしまうのでしょう。
だったら、交際などするな、という大人の声も聞こえてきそうですが、島という狭い環境に身を置く僕にとって、島の方々との交際を拒むというのは死活問題である、という認識があるので、若者が交際をしないというのは、僕のそれと同じで、死活問題なのでしょう。
若者達特有の島根性以上の狭くて、それでいて、深いんだか浅いんだかわからない、カオスな人間関係の中に身を置いている彼等にとって、交際は必要不可欠なもので、それこそ死ぬか生きるかの文字通り死活問題なのです。
この歳で島に移住した僕だからこそ実体験として、わかるのです。
例えば、先日、台風の影響で島の停電があり、ケータイの画面の明かりでしばらく過ごしていたら、お向かいさんが懐中電灯を台風の雨風の吹き付ける中、僕に貸しに来て下さりました。
また、その嵐の夜の停電時に島中の商店が閉まってしまい、僕は食べ物が無くなる事態に陥ったのですが、少し前にそれこそ交際費をはたいて知り合った方が、おにぎりと乾物をお裾分けして下さったりして、一命をとりとめた経緯があります。大袈裟な表現ではなく、本当に助かりました。
決して、こういう時のために、人脈を持っておこう、という話ではなくて、若者のココロの死活問題として交際があり、現実問題として、そのために交際費が必要なのだと思うのです。
なので、決して
『遊ぶ金欲しさにやった』
という供述を、僕達大人は鵜呑みにするのではなく、彼等の背景を考えて、若さゆえの言葉足らずな文脈の行間を読まなくてはならないのです。
かつて、僕らも若者でありました。だけど、時の経過と共に若者時代の心の中を忘れてしまったのでしょう。奇しくも台風のような嵐の中のあの心の状態を。
島の嵐に遭遇し、若者の心の嵐に思いを馳せました。
自然から学ぶことは沢山あります。
前の記事にも書きましたが、人間も自然の中の一部なので、
【自然を学ぶとは、人間を学ぶこと】
【自然を感じるとは、人間を感じること】
なのです。
自然物と人工物との対比というのは、元来おかしな論理です。
自然の中の人間が作った物も自然物。
化学薬品等々を使って作られた物も、大きな目で見れば、自然物。
化学薬品だって、この宇宙という自然の中にあるものから精製されているのですから。
それらを用いて何かを作る人間もまた、自然の産物です。
自然を識ろう。
人間を識ろう。
命を識ろう。
色々と考えさせられました。
でも、危ないから良い子は真似しないでね❣️
🌈祭統史朗🌈
