中京箕輪会が「解散」することになりました。残念です‼
先日、中京箕輪会の丸山睦治会長、登内範治副会長が箕輪町役場を訪れました。
丸山会長から、
「5月末をもって中京箕輪会を解散することになった。」旨の報告がありました。
最近の状況について、」
「当初100人程度いた会員が10人台になり会としての活動が困難になったこと、
会員の多くが80歳台以上になり集まることが難しくなってきた、
新規会員を募集するも入会する方がいないこと、などから、「解散」の結論になった。」と。
「これからも会は解散しても、有志で集まって情報交換していきます。」
中京箕輪会は、平成10年に発足。名古屋からやや遠い方も参加していた。
例年1月に新年会が行われ、町関係者も参加してきました。
いつも和気あいあいの楽しい懇談会でした。
解散は、やむなしとは言え、残念です。
これからも折に触れて箕輪町に来てくださいね。
名古屋県人会の活動は続けていただくとうれしいですね。
前列左から、登内範治さん、丸山睦治さん。
お二人とも町の「ふるさと大使」。
解散後も、箕輪町の発信役をお願いです。
平成17年1月の新年会。懐かしい顔ぶれです。
◆以下は、私のメモ帳に転記してあった名古屋県人会の太田宏次前会長さんの挨拶文です。
私自身、この文章から郷里や地区を同じくする方々の団結や意味合いを感じてきました。
以下が全文かどうかも忘れてしまいましたが、読んでみてください。
中京箕輪会が解散しても会員同士のつながり、箕輪町とのつながりを期待するものです。
「県人会創設の頃は、交通も不便で名古屋からみると信州ははるか遠い故郷であった。
自分の生まれ故郷の信州を遠く離れて、愛知県で生業を営むということは、大変勇気のいることであり、場合によっては、不安を覚えることも多々あったのではないでしょうか。
そんな時、相談に乗ってくれたり、勇気づけてくれたりしたのは、同郷の人達だった思います。
県人会は、頼り甲斐のある同郷人たちの親睦組織であった。
現在は、交通網が発達し、交通手段も多様化、高度化して、名古屋から信州は日帰りでも往復することができるほどの時代となっている。こうした状況下では県人会もその存在意義を失ってしまうのでは、と心配する方もいる。
そんな心配はない。
むしろ、情報化され、全てがインターネットで繋がった世界では、無味乾燥で、人間関係の薄いつながりが社会を支配しがちです。そんな時こそ、郷里を同じくする人達の温かくて力強い人間関係が貴重なものに思われます。」