去年、頑張ったからね。
自分の中の当たり前をたくさん壊した
たくさんの勇気を出した。
年明け、貯金が尽きると共に私も休みに入った。
そうすると不思議でぢんさんのポッドキャストも聞けなくなった。
ぢんさんの本も読めなくなったし、ブログも読めなくなった。
私はいつも思考が動いてるから、いつも考えてるから、いつも悩んでるから、停止することが心地よかった。
今日、3ヶ月ぶりいや4ヶ月ぶりに突然、ポッドキャストが聴けるようになった。
なんと、神の采配。
内容は仕事で出来ないことは出来ないと言おう。
そんな内容。
私は、今の職場はとても恵まれてる。
休んでいいよ、急に休んでいいよ。
分からないことは聞いていいよ、頑張らなくていいよ。
とてもとても優しい。
更衣室の壁に貼ってある言葉
『なぜ?と問う心が相手を知る。』←うろ覚え
例えば、相手の違和感、なんでこの人はこうするんだろ?本当はそこから亀裂が産まれるけど。
その言葉は、なぜ?と問う心が相手を知ることに繋がる。という事が書いてある。
保育室には色んな家庭の方がくる。色んな常識が、人それぞれに来る。なぜ?と問う事が、なぜ?と知ろうとする心が、相手を知ることとなる。
私はこの言葉に何度も救われた。
保育士さんは大体、常識の人。まっすぐな道を歩み、まっすぐな心を持った人が多い。
そこで、私は歪んだ家庭で、歪んだ心を持つ私。
私はここにいていいのだろうか、子どもたちを見て良いのだろうか。日々思ってた。
私、私はバレてはいけない。
でも、ここの職場の人たちは、いつもいつも、いいよと言う。
私は常に
うそだ、本当はそんなこと思ってない、迷惑だと思ってる、変な奴だと思ってる、迷惑だと思ってる、早く辞めろって思ってる。
そんな心で一杯だった。
子どもが体調を崩して。年明けから週に一回勤務できればいい日々。思うように仕事にでれず。
だからと言って休んでるわけではなく、日々看病に明け暮れる日々。
心も体もすさむ。
きっと、迷惑だと思ってるよね。
すみません、私なんかが働いて。
そんな思い。
でもね、気がついてる、知ってる。
職場の人はいつも「お子さん大丈夫?ミーティングに出れなくても、何とかなるから大丈夫よ。」「私も母の介護でみなさんにご迷惑おかけしてるから、大丈夫よ。お子さんのこと気にしないで、具合悪いのに出てきたら、気持ちが余計にしんどくなるわ。」「大丈夫?」「うん、すぐに帰ってあげて。」「大丈夫よ。」
いつもいつもそんな言葉をかけてくれている。
受け取れないのは私。
受け取るのが怖い私。
なのに、日々、休むのがストレスと言う。
こんなに休ませてくれてるのに。
夫はお願いしないと何もしないけど。
それは、私を信頼してるから。
お願いすれば必ずいつも叶えてくれる。
本当の願いは必ず叶えてくれる。
いつも率先してやってくれない。
それは、それは私を尊重してくれてるから!!!!もう、もう気がついてる。
夫にも職場の人にもこんなにも、私に協力してくれてることに!
一番怖い事、信頼する事。
それを、しなくてはいけない。
もう目の前。
怖すぎる。