小さな世界で丁寧に生きるのが好き。 | 星にねがいを(by.ふーちゃん)

星にねがいを(by.ふーちゃん)

母が統合失調症。
子育て中。
子どもの幸せを日々願う。
私ももう少し楽に生きたい。

今朝から患部が少し痛む。
今朝、退院。その足でセミナーに向かう。重い入院の荷物を抱え、一旦家に戻ろうかと思ったが、一旦帰ったらもう行きたくなくなりそうだ。駅のコインロッカーに預けることにした。
休日の都心。軽くめまいと息苦しさを感じる。都心が苦手だ。
住まいの近所も都心だが、慣れた場所だし、その慣れた場所でさえ休日はあまり行かないようにしている。

20代の頃、一時期、電車に乗れなくなったことがあった。
元々、閉所恐怖症を持っているのだけど、満員電車に乗った時に雪で電車が止まったのだ。電車のドアが開かず、周りは人で覆いつくされ、もう一つのドアが遥かに遠くに感じ、もうここから出られないのではという恐怖。
冷や汗が出て、体が震えて、息が苦しくなった。立ってられなくなり、座り込むと前に座ってた人が席を代わってくれた。恥ずかしくて顔を上げれず、座りながら泣いた。
それから、しばらく引きこもった。
そして、少ししたら、改札のホームまで頑張って行ってみた。電車の音にビクッとなり、立ちすくむ。何度かそれを試して慣らして、それが平気になったら各駅の電車にのった。初めは動悸がしたけど、しばらくしたら各駅停車の電車に乗って仕事に行けるようになった。
いまでは少し電車が苦手くらいで、平気になった。

私の母は私が友だちと出かけたり、遊びに行ったり、オシャレをしたり、旅行に行ったり、そんな事を私がするととても喜んだ。
「私が出来なかったことを楽しんでほしい。」と言っていた。
幼い頃、近所の友達はみんなお母さんと一緒に公園に来たが私はいつも1人だった。周りの子の親から女の子扱いされる門限に憧れた。
おばあちゃんは厳しい人だったから、好きに出かけられなかったのだろう、過干渉なタイプだったから厳しかったのだろう。だから、母は私に自分がしてほしかった、放任をしたのだ。私はそれじゃない、他のがほしかったと思った。こういったズレはよくあることだ。
20代の頃はお母さんの喜ぶ顔が見たくて、遊びたくもない友達と出かけたり、興味がないことに興味がある振りをして出かけた。仕事は都心部、ランチは流行りのお店。
私はお母さんの思うリア充タイプではない、家でゴロゴロしてる方が好きだ。

夫と結婚して、夫から近所で働くことを勧められた。私は人の意見は全く聞かないタイプだが、私の真逆の夫の意見を一度取り入れた時、とても良い結果になったことがあった。私なら絶対にしない選択、実際に嫌だった、けど結果、私にとても良いことをもたらした。
それから、少し聞くことも出てきた。仕事先も夫が言うように近所で探した。
それから、私は電車を全く使わなくなった。
公共の乗り物を使ってもバスくらい。後は自転車か徒歩。
とても心地よかった。
とても小さな世界だった。

私は小さな世界で生きることを許可したのだ。
前は許可できなかった、外に外に出なくては、小さな世界で満足してはいけない、外へ外へ出なくては。
でも、その夫と暮らす近所だけで用が済む小さな世界は奥が深く、心地よかった。
小さな世界だけれども、丁寧に生きる楽しさがあった。近所の方や地域の集まりに顔を出した、知った顔、慣れた場所。それがこんなにも心地いいことを知った。

今日、都心部でどこにランチに入ればいいか分からず、この闇にのまれそうな息苦しさを覚えて、ふと前に娘とプリキュアのショーを見にこの駅に降りたことを思い出し、その会場までの道でサンリオの店があった事を思い出し、とりあえず知ったその店へ行った。
子どもたちにお土産を買おう。
そして、その店から出て周りを見渡すとルノアールがあった。
そこに入った。
安定のルノアール。
安定の接客。
はぁ落ち着く。