私たちの避難生活は1ヶ月弱でようやく終わりました!業者を呼んで大物、危ない物を撤去してもらい、あとは自力で処分。ありがたかったのが、一定期間、震災ゴミとして分別せず捨ててよかったので、使える・使えないの分別をして、とにかく捨てる事に集中。

結果、リビングに残ったのはコレだけでした。

ダメになった大物は、花嫁道具として両親が準備してくれた食器棚、ダイニングテーブル、タンス1つ。特に食器棚はガラス張りだったのでガラスが割れてあちこち散らばった事でダメになった雑貨も多かったです。ダイニングテーブルもタンスも大きな亀裂が入りました。


地震から少し時間が経って、余震も減って来た頃、地元の同級生が陣中見舞いに来てくれました。

小中学校の同級生で年に何度か定例会を開き、交流会をしていて、私は県外組なので数える程しか参加できた事はないんです。それなのに、みんなが心配して連絡をくれて、いつも励ましてくれました。それだけでも嬉しいのに、有志で義援金を用意してくれて代表で3人が福岡から会いに来てくれたのです。

他にも福岡では買えるから!と水やカップ麺など沢山お土産持って来てくれて。

片付け手伝うよ!と言ってくれたのですが、この通りなーんにも残っておらず、むしろ子どもたちの部屋を先に整えたかったので棚を組み立ててもらうお手伝いをお願いしました。

すでに3人とも一家の大黒柱。日曜大工が試される…と、ややプレッシャーを背負いながら組み立ててくれました。

完成した棚とみんなで記念撮影!!

せっかく来てくれたのに、コーヒーを出すカップもなくペットボトル。テーブルもなくダンボールの上に置いたお盆に出しても嫌な顔せず、笑顔で受け入れてくれた3人。再会を約束し、この年の夏休み家族みんなでお礼を兼ねて会いに行きました。

ありがとう!と直接言えてよかった。

みんなにいただいた義援金は新しい食器棚を買う資金に充てました。みんなの思いが詰まっていたから選ぶ時も真剣に何度も見て、触って納得して買いました。

この数年後、マイホームを建てましたが、システムキッチンに併せた食器棚を作る事を提案されましたがどうしてもコレを使いたかったので提案は断り、今も大切に使っていますウインク

あの時励ましてもらった

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