れきしクン・その百五十九【武田勝頼】☆武田の名将「血染めの虎」ガチャ開催中! | しろくろジョーカー公式ブログ

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こんにちは!

 

 

れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

 

 

今回は、

 

ゲーム内で武田家の関する特別ガチャが開催中ということで、、、

 

 

「武田勝頼」さんをご紹介いたします!

 

 

勝頼さんは、昨年の大河ドラマ『真田丸』の影響で、

 

最近、かなり知名度が上がった武将の1人ですね!

 

 

武田信玄の四男として生まれたので、

 

当初は武田家を継ぐ予定ではなかったのですが、

 

長男の武田義信が、父の信玄によって切腹に追い込まれ、

 

次男の武田竜芳は、盲目であり、

 

三男の武田信之は、夭折してしまったため、

 

信玄亡き後は勝頼さんが家督を相続しました。

 

 

継いだ時期は1573年の28歳の時で、

 

当主となった後は果敢に諸国に攻め込みますが、

 

1575年の「長篠の戦い」で、

 

織田・徳川連合軍に惨敗して多くの重臣を失ってしまい、

 

武田家の求心力は一気に低下してしまいました。

 

 

1581年、勝頼さんは、

 

武田家の本拠地を「躑躅ヶ崎館(現・武田神社)」から、

 

築城中の「新府城(山梨県韮崎市)」に移しています。

 

 

それまでの館形式のお城ではなく、

 

本格的かつ大規模な城郭を築城しようとしたようです。

 

 

しかし、新府城は、

 

未完成のまま、火を放たれてしまいます。

 

 

火を放った者は、武田家の敵ではなく、

 

勝頼さん自身でした。

 

 

なぜかというと、

 

織田信長と徳川家康による「武田征伐」が始まったためです。

 

 

勝頼さんは、何とか迎え討とうとしますが、

 

織田・徳川の大軍に加えて、

 

武田家の一族である木曽義昌や穴山梅雪などが、

 

敵に寝返ってしまい、

 

巨大な城郭である新府城では持ち堪えられないと判断し、

 

城に火を放って逃れ、態勢を立て直そうとしたのです。

 

 

しかし、逃走先に選んだ岩殿山城(山梨県大月市)の、

 

小山田信茂に直前で裏切られ、

 

仕方なく、武田家ゆかりの天目山の「栖雲寺」を目指しました。

 

 

その頃には、

 

勝頼さんに従う家臣は、わずか30数人だったそうです。

 

 

ところが、栖雲寺に行くことを、

 

敵軍に阻まれてしまった勝頼さんは、

 

山腹の「景徳院(山梨県甲州市)」に入りました。

 

 

手前の松は「旗竪松」といって、

 

最期の戦に向けて、

 

勝頼さんがこの地で息子の武田信勝を元服させた時に、

 

武田家伝来の旗を立てた松だと言われています。

 

 

奮戦したものの追い詰められた勝頼さんは、

 

息子と妻(北条夫人)と共に寺内で切腹して果てました。

 

 

境内には、三人の墓が残り、、、

 

 

自害した際に使用したと言われる「生害石」が、

 

現在まで伝えられいます。

 

 

景徳院の最寄駅である甲斐大和駅には、

 

勝頼さんのカッコイイ銅像が立てられています。

 

 

秋に訪れると、銅像の周囲は赤く染まり、

 

それはまるで武田家を象徴する赤とも、

 

武田家の滅亡を象徴する血の赤とも捉えられます。

 

 

もうすぐ、その季節ですね。

 

 

 

よってくだんのごとし。

 

 

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