こんにちは、城メグリストこと萩原さちこです。
今週は、小早川隆景のことを。
城メグvol.125/小早川隆景(http://ameblo.jp/shirokurojoker/entry-12212084043.html)では、小早川隆景の人物像と、新高山についてお話しました。
今回は、その続き。
新高山城から移った三原城についてお話しますね。
今年、広島県三原市では「瀬戸内三原 築城450年事業」を開催中です。
小早川隆景が三原城を最初に築城してから450周年ということで、さまざまなイベントや記念事業が行われています。
三原城はとっても特殊な城。
なんと、新幹線の駅が城の本丸を貫通しております。
駅構内にこんな看板があるのは、三原城だけでしょう。
日本一の駅近天守台です。
隆景が新高山城から三原城へと移ったのは1567(永禄10)年頃のこと。
1587(天正15)年には筑前・筑後へと転封になり、翌年には名島城を築きます。
1595(永禄4)年、前年に養子とした秀俊(秀秋/秀吉の甥)に家督を譲ると、三原城へ戻り、本格的な改修をしました。
現在残る石垣は、この時期のものです。
実は三原城、小早川隆景の没後は福島氏、その後は浅野氏が入っているんです。
それだけ重要な城だということ。
福島時代も、正則の養嗣子である福島正之が入っていますし、浅野時代も家老の浅野忠吉が城代になっています。
現在はだいぶ埋め立てられてしまいましたが、かつては海に向かって船入りがあり、軍港としての機能を備えた名城でした。
そうです、小早川氏といえば小早川水軍!
「浮城」と呼ばれるのは、満潮時には海に浮かんだように見えたといわれるためです。
船入櫓付近が必見!
たまりません。
よく残してくれました!
天守台を見下ろすようにそびえる山、これも城です。
桜山城という城で、隆景が三原城を築いた際、詰丸として改修されたといわれます。
ちょうど三原城との間に中世山陽道が通り、城と城下を見下ろす位置にあります。
三原駅から徒歩10分ほどで登城口、そこから15分ほどで登れます。
城の遺構部分はあまり整備されていませんが、お散歩がてらにぜひ。
では、今週はこのへんで。
来週もよろしろ~。
萩原さちこ(城メグリスト)
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