城メグvol.143/石川数正 | しろくろジョーカー公式ブログ

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こんにちは。城メグリストこと萩原さちこです。

今回は、松本城を築いた石川数正についてです。

 

 

 

 

 

石川数正については、以前もエントリーしたことが。
松平元康(後の徳川家康)が今川義元の人質だった時代から仕えた人物で、今川家から独立するきっかけとなる桶狭間の戦いにも参陣しています。

 


大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、ワンシーンだけ登場しましたね。
駿府に留め置かれていた月山殿を取り戻しに、馬にまたがり颯爽とやって来ました。
あのシーンの石川数正、かなりカッコよかった!
 

 


石川数正の出奔の理由については、いまだ謎。
秀吉と家康の交渉役を務めるうちに秀吉に引き抜かれたとも、徳川家中での立場が危うくなったとも、松平信康(家康の嫡男)の後見人だったため、切腹を機に家康と不仲になった、などさまざまな説が囁かれています。

 

実は豊臣に贈られた徳川のスパイだ、なんて説も。。

 

 


いずれにしても、徳川方の軍事機密を熟知していた数正が豊臣方に走ったことは徳川に大打撃を与え、家康は軍制の一新をせざるをえなくなったといわれています。

 



秀吉と数正の距離が近づいたのは、1584年の小牧・長久手の戦いのときとされます。

 

数正は小牧山の本陣にいて、家康に和睦を提言したとか。
11月には和睦の使者となり、嫡男の石川康長も人質となっています。

 


しかしそのわずか1年後、1585年11月に、一族郎党100人を引き連れ岡崎城を出て、秀吉のもとへ走っているんですよね。。

 


そうして1590年に関東に入った家康を監視するために松本城を築城し、牽制する立場として松本に入ることになったのでした。

 

 

 

1592年に肥前名護屋城(朝鮮出兵の日本軍の拠点)へ出陣するも、どうやらその陣中で病死したよう。
なんともなタイミングで。。
謎ではありますが、波乱万丈の人生でしたね。

 

 

 

 

では、今週はこのへんで。
来週もよろしろ~。

 

 

 

萩原さちこ(城メグリスト)



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