親とか家に恵まれなかった愚痴 | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

クマ妻の贅沢すぎる新居生活も2ヶ月を過ぎまして、

生活にも慣れてきたのですが、

今頃になって気づいたこともありました。

 

トイレの換気扇はどこに?

 

換気のスイッチはあるし、ごうごうと音も聞こえるのに

その姿が見えません。

 

あれ~?と思いましたらば、それは天井から

ぼこっとでっぱった梁の向こう側にありました。

 

なんとなく嫌が感じがいたしまして、

脚立を便器に当たるぎりぎりのところに立て、

必死こいて換気扇のフタを外してみると、

案の定、とんでもない量のほこりが溜まりまくっていました。

 

私が入居した際にプロの業者さんがクリーニングなどを

しているはずなのですが、ここは見落としたのですねえ。

 

わかるけど。

アクセスしにくすぎてマジで困るわ。

 

また、同じ換気扇つながりですが、蒸し暑い季節となり、

浴室の換気扇はカビ防止のために、季節に関係なく

24時間通風状態の設定になっていても、

洗面&脱衣所の天井に換気扇がないことに気づきました。

 

うーむ。

せっかくシャワーを浴びてもここがこんなに蒸し暑いと

困ったもんだわよ。

 

そしてふと気づきました。

 

そうか。

お風呂場の換気扇がつけっぱなしであるならば、

浴室のドアを常に開け放しておけば良いんだわ。

 

現在お試し中です。

 

*やさぐれ注意報発令中*

(本日のブログは、自身の人生を罵倒した愚痴です。

うんざりしたくない方は1回休みをお勧めします)

 

さて、明るい話題もない今日この頃、

仕事だの未来だの家族だの人生だのに疲れてうんざりすると、

しみじみと己の不幸と言うのか、

運のなさにため息が止まりません。

 

世の中にはきっとたくさんの愛情に溢れた方々が

無償の愛でろくでもない親のために身を粉にして

奮闘しておられるのだと思いますが、

どうも私はそこに心から素直に加われません。

 

長くこのブログをお読みの方は、私がそれなりの犠牲を

払いながら、実の母、クマ姑をサポートしてきた

年月をご存知かもしれませんが、私はその一見

献身的な娘の顔の裏側で、どこかどうしても

納得できないものが捨てきれないのです。

 

とことん見栄っ張りだった母が、自分がいかに、

夫であった私のクソ親父の父親、つまり舅に尽してきたかとか、

自分自身の母親の介護をしたかを、滔々と繰り返し語るのを

聞かされてきたのですが、少なくとも私の物心が

ついてからの40数年間において、

この母は親の介護などほぼまったくしておりません。

 

それはクソ親父にぶん殴られて蹴り飛ばされながら

働かされていて時間もない上に自由になるお金も

与えられていなかったからだということは認めますが、

事実と反したことを、よくもそこまで堂々と他人様に

吹聴できたものだと、今は思い返すとあきれます。

 

世の中に完璧な人間などおらず、

母は確かに運も悪かったと思いますが、

なんだかんだ言っても一応は恋愛結婚ということで

クソ親父を選んで結婚し、子供を自分の意思で作って産んで、

離婚をしてからはかなり好き放題で暮らしておりました。

 

それが最後の最後で経済的な予測計算と計画を大きく間違い、

それを娘の私が全面的に負うということになり、

昨年からは都合よく認知症ですべて忘れてくださって

文句ばかり言いながら自分の不幸を、他人としての私に

愚痴るというのは、私には感情的に消化しがたい

ものがあるわけです。

 

私に計画性がなかったら、

私に自立できる経済力がなかったら、

私にあなたを抱える責任感がなかったら、

私にあなたを見捨てられない愛情がなかったら、

私に私の決断を許してくれる家族がいなかったら、

あなたは今頃、どこかでひとりきりで、

のたれ死んでいてもおかしくないのですよ。

 

世の中は不公平すぎます。

 

私はもちろん、数多の幸運に支えられて、

今ここにまだ命があり、働いて金銭を得て、

生きて暮らしていられるわけですが、

そこには私なりの、とても長い年月と一種異様な努力を

続けてきた自覚と自負が大きく関わっております。

 

本当の意味で親の呪縛から解き放たれる時は

いつなのだろうかと、ぼんやりと考える時が、

たまにあります。

 

疲れたなあ。