セリーヌの指輪に別れを | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

子供じみたことを、と言われてしまえば

その通りですとしか言えないが、

3月31日の母、クマ姑との別れを記念してなのか、

私は右手の中指につけていた指輪を外した。

 

これは38年前、私が18歳になった誕生日の祝いにと

母が贈ってくれたセリーヌのプラチナと金の

少し変わったデザインの指輪だった。

 

当時、単身アメリカのワシントン州の田舎町スポーケンで

ホームステイをし、地元の公立高校に通っていた私に、

「日本の成人は二十歳だけれど、

お前はもう独り立ちした大人と一緒だと思うから、

成人の祝いに贈ります」と母は言った。

 

今思えばその指輪はどう見ても結婚指輪のデザインで、

おそらく当時母が出入りしていた問屋の宝飾部で

何が理由かペアの指輪がひとつだけになって

値下げされていたのだと思う。

 

プラチナの蒲鉾型の指輪に斜めストライプが金で入り、

それがミラーボールの様にカットされていて

光に当てると本当にミラーボールと同じように反射した。

 

私の指のサイズなど知らない母だったから、

一番うまくはまったのが右の中指だっただけのことで、

それは38年間、左の薬指に結婚指輪がはまっても、

その5年後に右の薬指に後出しの婚約指輪がはまっても、

ずっとそこにあった。

 

ミラーボールのカットは年を経てすり減り、

ただのプラチナと金のストライプの地味な指輪に

なったけれど、それでもそれは、白クマのくれた

婚約指輪と並んで、いつも私の右手にあった。

 

4月からの私の新しい人生の門出に、

私は母からの卒業の意味をこめてそれを外した。

 

いつもは簡単に外れる指輪が、

まるで母の呪縛が締め付けるかの様に、

石鹸をつけて格闘しないと外れなかった。

 

それだけ長い年月を経た私の指は

そこだけが細くくびれている。

 

このくびれがなくなるにはどのくらいかかるのだろう。

 

外した指輪は箪笥の小箱に他のネックレスなどと

一緒に収まり、いつか欲しければ子グマ兄弟にでも

くれてやろう。

 

溶かせば何か作れるだろうから。

 

指輪がひとつ減った私の右手は何かがとても軽くなり、

短い指のぶこつで小さな手が少しだけ

華奢に見えるようになった。

 

母はまだ生きているけれど、

それはもう私の母ではないことを受け入れようと思う。

 

さようなら、お母さん。