1年という既成事実の価値 | 白クマの妻は今

白クマの妻は今

外国の白クマを夫にしたら予想外のイケメン子グマが2匹も出てきた。どぉする?

あれから一年。

 

老人ホームから母を受け出して介護同居を始めて

1月26日で1年が過ぎました。

 

母はもうまったくその日を覚えておりません。

 

カレンダーに記した「1年」を説明すると、

「あなたとここへ来たの?」と聞くので

「そうだよ」と答えると「ぜんぜん覚えてないわ~」と

やわらかに答えておりました。

 

良いです。もうそれで。

 

実に呆れるほどの想定外なことが起こり続け、

私はただもう振り回されるばかりで余裕もなく、

このブログでも非常に情けないばかりの悲鳴と愚痴を

ぶちまけてきた1年であったと自認しております。

 

昨年の8月にもう何度目かの挫折感を味わい、

とにかく1年はがんばると表明したのに

その2週間後にはぴーぴーと、

もう無理だと泣き吠え垂れた。

 

そして急遽応募を決めた特別養護老人ホームであったが、

あれから約5ヶ月の今、あと半年以内くらいには

大田区の施設に入れそうな見込みも出てきた。

 

認知症老人の介護は赤ん坊の育児と似ているのかもしれない。

私自身の不安や苛立ちや疲労感がちゃんと伝わるのだと思う。

 

わずかながらでも対応に慣れてきて、

不測な事態にもあまり慌てずに対処でき、

先を見越して用意ができたり工夫を加えられたりするように

なった上に、色々な意味でのあきらめもつくようになった。

 

そのせいか、ここしばらく母、クマ姑の精神状況も

落ち着いていて穏やかな日が多くなった。

 

体力は下降線を辿っているが急降下ではないし、

認知症の症状はゆるやかな波が寄せては返す日々だ。

 

この1年で、介護には理想があれど正解はない

ということを理解した。

 

もちろん自分がいかに短絡的で感情的で浅はかであったかは

100%以上に認めているが、もう戻れない道を

辿ってしまったわけだし、枝分かれした道も、

もう次の選択をしてしまった。

 

生きているって、

生きていくって、

なんて難しくて不安で良い加減でめちゃくちゃなんだろう。

 

母も私も生きていて、

二人ともまだこれからも生きていく。

ただそれだけのことが途方もなく大きい。

 

私の運のなさは介護生活と同時に会社の仕事にも現れた1年で、

こちらもまた、母の身体精神状況の変化に負けずとも劣らずの

目まぐるしい変化があった。

 

同じ部署にいるという事実だけは変わらないけれど、

その中で在籍する課も変わったし、

業務も変わり、部下も変わった。

 

あろうことか、部署名まで変わった。

 

せめてこの、公私どちらかだけでも安定していたならば、

私だってもう少し落ち着いた対応ができたかもしれないと

言い訳をしてみても過去は変えられない。

 

次の1年に何が待っているのか、

考えると恐ろしいだけなので考えない方が良いのだろう。

 

そんな1年で予想が合っていたことがひとつ。

 

ぞろりと買い揃えた酒は、このブログで予想したとおり、

どの1本もまだ空になっていない。

 

実際にはこのセレクションに

ブランデーとグランマニエも足した。

 

色々なワインや缶チューハイ(主にほろよい)、

清酒も買い続けていて、コンスタントに減るのは

こちらの方だからだけれど。

 

年末ジャンボ宝くじは当たらなかったので、

末等の300円に1,700円を足して東京都くじを買ってみた。

 

なんだかなあ。