昨日、袖ケ浦市郷土博物館で開催中の企画展を見ていたら今回、企画展の企画展示ている職人さんにお会いしてお話をしていたら「その話を是非、文章に書いてほしいです」と言われましたので今朝、書いてみました。 


 開催中の企画展は以下をご覧下さいね。


郷土博物館企画展「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」 


開催期間
5月3日(金曜日・祝)から7月15日(月曜日・祝)まで


入館料
無料


休館日
毎週月曜日。

祝日は開館し、翌日休館


関連事業

〇展示解説会

日時 5月4日(土曜日)、6月8日(土曜日)、7月13日(土)
11時00分から12時00分まで


詳しくは以下のリンクからご覧下さいね。


郷土博物館企画展「出羽三山と袖ケ浦の山岳信仰」開催します - 袖ケ浦市公式ホームページ

https://www.city.sodegaura.lg.jp/soshiki/hakubutsukan/r6kikaku1-dewa3zan.html


書かせていただきました文章は長いですので興味がある方のみご覧下さいね。


三山講と我が家の祈りの道

実家は上蔵波にあり本家として長年暮らしてきました。


家にはお客様用の玄関の真正面に神棚(神宮大麻などのお札など)と仏壇(阿弥陀如来の仏像や京都から伝わる仏具など)と床の間(天照皇大神掛け軸、出羽三山の掛け軸、三峯神社火防御守護札、袈裟など)が祭られていて朝には母が神棚には榊やお水やお塩、そして仏閣には仏花や食前にはお茶やご飯など上げていました。


季節の行事(お正月、恵比須講など)もあり生活の中で神仏を信仰する事が当たり前になっていて「信仰」ではなく「生活」だと思って育ちました。


そんな地域ですから小学生の時の集団登下校時にお地蔵さんがあれば当たり前に手を合わせてから学校に行っていました。


祖父は三山の世話人をしていたので行人が出羽三山へ行く前には相談に来たり、父も毎月八日講を地元の同年代の行人としていて、祖母や母は子安講や中年講を地元の同年代の女性(既婚者)で集まり、子安講や中年講に私も子供の頃に一緒に行ってお菓子もいただいた事を覚えています。


「八日講(ようかっこ)、子安講(こやすこ)、中年講(ちゅうねんこ)」は元々は講から始まったものだと思いますが毎月集まっていたので八日講は呑み会、子安講や中年講はお茶のみくらいに当たり前のものとして地域で根付いていました。


子安講で昔、聞いた話では一度子安講を止めた時期があったそうですが地域で子供が亡くなる事が増えて再開したと聞きました。


地元では以前には伊勢講、熊野講、三山講、三峯講、富士講、恵比須講、八日講、子安講、中年講と様々な講をしていたそうです。


上蔵波の氏神様の蔵波八幡神社関係で京都の石清水八幡宮や菩提寺でもある薬蔵寺に関連して同じく京都の智積院にも行っていた時期があると父から聞きました。


子安講と中年講は既婚者の女性がやっていましたが、それ以外は基本的に家の長男が講を受け継いできました。


地元の講に関しての記録は昭和48年に発行された千葉県民俗地図にも地元で信仰していた講について書かれおります。


初めて三山講を見たのは小学生の時に父たちが三山へ向かう為に早朝、薬蔵寺のお堂に白装束で行人と集まり祈祷して出発を見送った時です。


普段とは違う父の姿を見て子供ながらに三山講を強く感じました。


次に知ったのは祖父の葬儀でした。

地元の葬儀には一般の葬儀の他に行人の葬儀があり祖父は三山講の世話人をしていた事もあり古式に従って野送りも執り行われました。

その時に儀式を執り行って下さった隣組(行人の方々でした)の方から「爺さんの葬儀を見て行人の葬儀方法をお前たちも覚えておけ!」と言われ、こうして代々地元に受け継がれてきたのだと実感しました。


そこで私自身も三男でしたが三山講へ行く事を決め他の地域(父たちは講を解散していたので)の三山講に参加させていただき行人として出羽三山へ行きました。

その後、地元で過去に講をしていた神社仏閣を含め北海道から沖縄県まで参拝しながら学び伊勢神宮では第62回式年遷宮にお木曳きとお白石神事にも神領民としてご奉仕させていただき春日大社では神殿にて大宮司と共に大祓祝詞の奏上まで経験させていただきました。


三山講では宿坊が代々決められていて上蔵波は羽黒山宿坊神林勝金にお世話になる事が決まっていたので相談して事前に修行する内容をお聞きし三山講へ向かいました。

私たちが事前にした事は送られてきた白装束に着替えて祝詞を毎日奏上(練習)する事や講へ向かう一週間前からは穢れると言うことで四つ足の動物(牛や豚など)を食べる事を禁じられ潔斎する事を言われました。


潔斎に関して聞いた話では祖父の時代は一週間前から地元のお寺のお堂に籠もって潔斎してから三山講へ向かったと聞いております。


1日目に羽黒山に行き出羽三山神社へ案内されて修行の安全などのご祈祷を受けます。

案内は基本的に決められた宿坊の方がする事になっています。

翌日に月山や湯殿山への登山がありますので宿坊に泊まります。

宿坊では食事は精進潔斎料理が出され翌日に備えて早めに就寝します。

翌朝は3時に起床して白装束に着替えて宿坊内にあります祭壇にてご祈祷を受けお汁粉をいただき月山へと向かいます。

山に入山する前に入り口の祠に事前に練習してきた祝詞を奏上して入山させていただきます。

そこからいよいよ月山本宮へと向かいます。

昔から同じ道を祈りながら歩いてきた事を知り祖父や父やご先祖様も歩いた事を想いながら黙々と歩きました。

月山神社本宮の標高は1,984 mもあり日本海や鳥海山など周辺の山々がとても美しく心が清められます。

月山神社本宮から湯殿山神社本宮への下山道は険しく途中にはハジゴがあり修行と言う事を実感します。

湯殿山神社本宮に到着すると靴を脱ぐようにと言われ素足で境内に入りお参りをさせていただきますが昔から「湯殿山で見聞きした事は他言してはならない!」と言われおりますのでここには書けませんのでご興味がある方は現在はどなたでも修行体験が出来ますのでご参拝なさって下さいね。


日本遺産 出羽三山 生まれかわりの旅 公式WEBサイト

https://nihonisan-dewasanzan.jp/


湯殿山神社本宮について一つ実家に昔から「お山の薬」と言う茶色い粉があり怪我をすると祖父がその粉をかけてくれて不思議と直ぐに瘡蓋になりましたが今思えばあれば湯殿山の湯の花だったのでは?と思います。


最後に三山講が本当に地元に根付いてきた事を実感する出来事がありましたのでご紹介させていただきます。


去年、父が亡くなり遺言で「家族葬」にする事になりましたが地元では葬儀を隣組にお世話になる事になっていて父も長年やっていました。


ご相談に行った隣組長さんは父の幼なじみの方で既に三山講を解散していた事もあり父の遺言である家族葬で葬儀をする事を伝えると「確かに今はコロナの件もあり家族葬と言う気持ちもよく分かる、でもなお前の親父は長年、行人として地元の行人を見送ってきたんだぞ!解散したと言っても行人は行人!親父を俺たちは行人として見送りて~んだよ!行人てのはそんなもんなんだよ!最後は行人として見送らせてくれ!」と強く言われました。


ただ祖父の時のように全て執り行う事は感染リスクがありますので簡易的にしていただける事になり地元の三山講への思いを改めて知らされました。


葬儀当日は火葬を終えたお骨を実家の仏間に一度入れて玄関の両側に隣組の方々が立ち竹の先に藁で編んだ縄の下を潜り抜けて庭に4本の同じく竹の先に付けた獅子頭と縄に折り紙で作った様々な色の幣束が付けられた周りを3周して墓所へと向かいます。


野送りでは女性は白いさらしで角隠しをして墓所へ向かいます。


墓所には行人として父を送る為に八角杖など仏具が置かれお経が奏上される中、参列した親族で父の冥福を祈りました。


地元では三山講が生活の一部として根付いていた事を父の葬儀で知る事になりました。


今回、開催中の三山講の企画展を拝見してご先祖様、祖父、父と受け継がれてきた三山講の祈りの道と歴史を多くの資料と写真を通じて知っていただける事を嬉しく思います。


地元では年々、講を解散する地域が増えてきましたが現在はパワースポットやスピリチュアルなど神社仏閣にお参りに行く方々が増えました時代が変わっても願い事が変わっても神仏に祈る人の想いはこれからも受け継がれていく事と思います。