木更津案内 

大正二年八月十日 印刷
大正二年八月十五日 發行

發行所
多田屋支店
木更津八まん町

編輯兼發行者
木更津商工會
右代表者
鈴木茂藏
千葉懸君津郡木更津町木更津千八百二十番地

印刷者
小川梅次郎
印刷所
太陽堂
千葉懸君津郡木更津町木更津千三百九十三番地ノ一

大正二年に発行された木更津案内をご紹介させていただきますね。

大正二年 木更津案内 證誠寺の狸ばやし
https://youtube.com/watch?v=ATLqOcyPJUY&si=blv5K7qZiMtwLY15

◆松本斗吟

「木更津案内」の中に松本斗吟と言う名前があり「あれ?どこかで聞いた名前だな?」と思い調べると房総ファミリア新聞に以下の記事を見つけました!

証城寺の狸ばやし

この民話は、郷土の文学者である松本斗吟の著書『君不去』で発表されました。
その後、木更津に講演に来た野口雨情に世話役の先生からこの民話が紹介され、中山晋平により曲がつけられ、大正13(1924)年に童謡「証城寺の狸ばやし」として発表されました。

房総ファミリア新聞
カムカムエブリバティ/証城寺の狸ばやし
http://bosofamilia.jp/news/comecome/comecome.htm

証城寺の狸ばやしは明治38年、木更津の地元の民芸誌「君不去」に紹介されたお話だそうです。

この木更津案内が発行された時には既に発表された後みたいです。

證誠寺に伝わる「狸ばやし」の伝説(木更津市) https://tokyo-bay.biz/pref-chiba/city-kisarazu/tanukibayashi/

◆學校

◆千葉懸木更津中学學
( 現在の千葉県立木更津高等学校 )
明治三十三年四月創立

◆郡立木更津高等女學校
(  現在の千葉県立木更津東高等学校 )
明治四十四年十年創立

◆町立木更津尋常高等小學校
明治二十七年九月創立

◆町立木更津慈善學校
明治三十四年六月

◆私立木更津幼稚園
明治四十四年五月二十六日

◆町立木更津訓盲院
明治四十四年五月

◆私立藝妓學校
大正二年五月

この中で注目したのは以下の2校です。

町立木更津慈善學校は今の定時制や夜間中学みたいなものでしょうかね。

町立木更津訓盲院は今の盲学校ですね。
昔の人は横浜の三溪園で知られる原富太郎(原三渓)など私財を投じて世の中の為に貢献する方々がいました。

千葉県における訓盲院創設者の生没年、出身地、経歴が知りたい。
・木更津訓盲院 大野三五郎・千葉訓盲院... | レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000140450

木更津訓盲院 大野三五郎については、生没年が書かれた資料はみつかりませんでしたが、『西上総文化会報』【資料1】p21-23鳥飼秀雄「木更津訓盲院考」、『六十年の歩み』【資料2】の中のp49-50「木更津訓盲院」に記載されている内容をまとめると次のような経歴です。
生年月日:不詳
没年月日:不詳
出身地:君津郡真舟村請西(現木更津市)
経歴:明治時代真舟の資産家で請西に農を専業とした名家山川家に生まれ、同じく真舟屈指の資産家で請西の村長をつとめた家柄の大野家に養子に入った。
東京法学校に学んだがソコヒを病み20才頃視力を失う。
その後東京盲学校に学んだ。
灸師の資格を得たが、開業はしていない。
明治38年 鈴木慶信と木更津訓盲院設立。
明治44年6月 町の経営に移管。
木更津訓盲院の初代院長は当時の町長香々見儀助で、この後歴代の町長が院長に就任。
大野三五郎は点字、生理、解剖などの理論科目を教えた。
昭和4、5年以降 入学者がないため木更津訓盲院、廃校。

※ソコヒについて
目が見えにくくなる病気を「そこひ」と呼ぶことがあり、白内障、緑内障などの病名に用いられる場合があります。

以上の地域の新たな偉人を知りました。

◆大正時代の乗り物事情

大正二年には様々な乗り物がありました案内には以下が紹介されております。(何故か?宿泊料と晝食料も載っておりますが…)

◎運輸交通
(一)陸路
(イ)鐵道
(ロ)懸道
(ハ)宿泊料、晝食料
(ニ)人力車賃錢表
(ホ)馬車發着時刻運賃表
(ヘ)自動車發着時刻運賃表

(二)海路
(イ)汽船
(ロ)和船

祖父が馬車で荷物を運んでいた事は子供の頃によく聞いていました。

軍隊に入隊してからは馬で木更津まで通っていて知らない人が偉い方と勘違いして敬礼すると祖父はそのままなりきって敬礼したと笑って話していました!

飲んで帰る時は祖父が眠っていても馬が家まで乗せて帰ってくれた話も覚えていて馬がとても賢い事も知りました。

この案内の中に和船があり時間がとても長く2時間から5時間もかかって東京湾を渡っていた事を知り当時の人がアクアラインを見たらビックリするでしょうね!

こうして見ますと当時の木更津は様々な乗り物が行き来する賑やかな街だった事が分かりますね♪

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※ご注意
弱視の私が所有資料をコツコツ紹介する動画です。
動画内で誤字脱字があるかもしれませんが温かいお心で資料をお楽しみ下さいね。
現在、小さな資料はフラットスキャナーで取り込み大きな資料や書籍は予算が無くスマホのみで撮影しておりますが予算が出来ましたらスタンドスキャナーを購入してより良い動画を制作