木更津案内
大正二年に発行された木更津案内を見ておりますが今回は学校についてご紹介させていただきますね。
当時に木更津市にあった学校は以下です。
學校
◆千葉懸木更津中学學
( 現在の千葉県立木更津高等学校 )
明治三十三年四月創立
◆郡立木更津高等女學校
( 現在の千葉県立木更津東高等学校 )
明治四十四年十年創立
◆町立木更津尋常高等小學校
明治二十七年九月創立
◆町立木更津慈善學校
明治三十四年六月
◆私立木更津幼稚園
明治四十四年五月二十六日
◆町立木更津訓盲院
明治四十四年五月
◆私立藝妓學校
大正二年五月
この中で私が注目したのは以下の2校です。
町立木更津慈善學校は今の定時制や夜間中学みたいなものでしょうかね。
町立木更津訓盲院は今の盲学校ですね。
昔の人は横浜の三溪園で知られる原富太郎(原三渓)など私財を投じて世の中の為に貢献する方々がいましたね♪
千葉県における 訓盲院創設者の生没年、出身地、経歴が知りたい。・木更津訓盲院 大野三五郎・千葉訓盲院... | レファレンス協同データベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000140450
木更津訓盲院 大野三五郎については、生没年が書かれた資料はみつかりませんでしたが、『西上総文化会報』【資料1】p21-23鳥飼秀雄「木更津訓盲院考」、『六十年の歩み』【資料2】の中のp49-50「木更津訓盲院」に記載されている内容をまとめると次のような経歴です。
生年月日:不詳
没年月日:不詳
出 身 地:君津郡真舟村請西(現木更津市)
経 歴:明治時代真舟の資産家で請西に農を専業とした名家山川家に生まれ、同じく真舟屈指の資産家で請西の村長をつとめた家柄の大野家に養子に入った。
東京法学校に学んだがソコヒを病み20才頃視力を失う。その後東京盲学校に学んだ。
灸師の資格を得たが、開業はしていない。
明治38年 鈴木慶信と木更津訓盲院設立。
明治44年6月 町の経営に移管。
木更津訓盲院の初代院長は当時の町長香々見儀助で、この後歴代の町長が院長に就任。
大野三五郎は点字、生理、解剖などの理論科目を教えた。
昭和4,5年以降 入学者がないため木更津訓盲院、廃校。
※ソコヒについて
目が見えにくくなる病気を「そこひ」と呼ぶことがあり、白内障、緑内障などの病名に用いられる場合があります。
以上の地域の新たな偉人を知りました。
歴史には「タラレバ」ありませんが、もしこの学校が廃校していなければ私が四街道まで片道1時間以上かけて通学する事もなく木更津まで短時間で通学する事ができたのですね。
ただ四街道まで通学する事で様々路線の鉄道に乗り乗り方や旅の楽しみ方を知ったので今思えば良かったです♪
これからも地域の歴史資料を収集して隠れた歴史に光を当てる事ができたらと思います♪





