
封筒を開けると年賀状と手紙が入っていました。
年賀状には、年末に仙台にボランティアに行った事と「今年も年相応の活動をしていきたいと思います」と書かれていました。
手紙は、私宛てではなく「女性会の皆様へ」と言う書き出しから始まる恩師の活動報告が書いてありました。
ひとりで仙台に行き教会でお世話なって、椅子を並べただけの簡易ベットに毛布1枚と湯たんぽ1個で夜をあかし、昼間は各家々に食事や食料を届けるボランティアをして過ごしていたそうです。
その活動の中で、フィリピンから来ていた方々と、ご一緒になったそうです。
ゴミ山積みのスラム街で暮らす子供たちが、本当に少ないお小遣いを出しあい、日本の被災された同年代の子供たちにと募金をして下さった、そのお金を集めた代表が日本に来て被災された小学校へ訪問するために来たそうです。
その訪問に恩師も同行させていただき、子供たちからの歓迎を受けて、ボランティアで行ったはずの恩師の方が感動して帰ってきたそうです。
恩師は手紙の中で「こんな些細な食物で申し訳ないと思いつつ、喜んで受け取って下さる方々に出会う度に感動して涙が出ます」と書いていました。
とっくに学校を定年なさり、老後だってやりたいことがあった事と思います。
でも恩師は退職後も、自宅での英語教室をしながらも、障がいのある子供たちの自立のためのレストランを作ったり、様々なボランティア活動をしています。
私に対しても「先生と生徒」という枠を越えて「人と人」として、公私関係なく真正面から向き合って下さった恩師の活動報告の手紙を読みながら胸が熱くなりました。
私を正しい道へ導いて下さった恩師が、こうして今も現役で頑張っているのだから、私も恩師を見習って、恩師が私にして下さったと同じに「立場や肩書き」など抜きに「人と人」「心と心」で向き合っていきたいと思いました。
恩師のして下さった様に私も私利私欲なく、私に出来る事で、これからも活動をさせていただこうと思いました。
私はまだまだ未熟者だと、恩師の手紙を読ませていただき思いました。
こんなにも素晴らしい人としての人生の恩師と出会えた事を心から感謝いたします。
和知先生ありがとうございます。
まだまだ未熟者の私ですが、先生が私にして下さった全ての事を恩返しとして、これからも私の活動にしていきたいと思います。
どうか、これからもご指導よろしくお願いします。
ありがとうございます。
感謝
皆さんに大好きな言葉を贈ります。
私の願い
ある兵士の祈り
成功するために神に力を願いましたが
与えられたのは謙虚さでした
従うことを学ぶために
善行をするために健康を願いましたが
与えられたのは病気でした
より善い行いをするために
幸せになるために富を願いましたが
与えられたのは貧しさでした
賢くなるために
人から尊敬されるために能力を願いましたが
与えられたのは弱さでした
神を必要とするために
人生を楽しむために
すべてのものを願いましたが
与えられたのは命でした
すべてのものに感謝して生きるために
私が欲したものは
何も与えられませんでしたが
声にも出さなかった祈りが聞き届けられ
私はだれよりも豊かで
祝福された人間となれたのです
作者不明
恩師は今月末にボランティアとして、また仙台に向かいます。