今日、一通のメールをいただきました。

内容は、私が今年に大阪へ会いに行った方が、18日にお亡くなりになられたと言うものでした。

妹さんにオフ会で出会い、その後に私の新聞を読んで手記を送って下さいました。

その手記に感銘を受け、医学書院へ送り、その後に患者会の方々のご協力をいただき9月に異例のスピードで医学書院から月刊誌「病院」9月号リレーエッセイに掲載していただきました。

この掲載に当たっては医学書院の方にも、かなり無理なお願いをしてそれでも快く引き受けて下さいました。

お会いするきっかけも、私が「お姉さんの手記を読ませていただいたお礼をメールではなくお姉さんに直接お会いして言わせていただきたい」と言う無理なお願いに、ご家族やご本人までもが「白くまさんなら」と言う事で会って下さいました。

その時にはすでに病状は末期で、本当は話す事も辛い状態の中を私に会って下さいました。

そして、本人もおしゃっていましたが「これが最初で最後の会話」となりました。

最初はご家族も交えて2時間程お話になられ、そして昼食をはさみ、午後からはご家族も席を外していただいてふたりだけで1時間ほど話を聞かせていただきました。

この時にはすでに数値が上がっていて、ご家族からも「もう休んだ方がいい」と言う言葉に「話させてほしい」とおしゃって私に話をして下さいました。

ご本人から「私は今年もつかわからないんです」と衝撃的な話から始まって、発症からいままでの話をかすれる声で一生懸命に話して下さいました。

内容は個人的な話しが多いので書けませんが、お姉さんから頼まれたのは「私はもう、ここから動く事はできません、だから私たちの思いを白くまさんが多くの同じ病気や症状で悩む人たちや、この病気を知らない人たちに伝えていって下さい」と力強くおっしゃられました。

私みたいな者にそんな事ができるのか?悩みました。

でも、お姉さんが「いままでと同じで、そのままの白くまさんでいいんですよ」と言っていただいて、私も「頑張ろう」って思いました。

今日のお昼に、今回のこのメールをいただいてから涙をこらえるのが精一杯でした。

もう、私からお姉さんにメールをしても返信は帰ってきません。

でも、いままでのメールのやり取りを読ませていただいて、本当に最後の最後まで相手を思いやる大きな心をもった方だったんだと知る事ができまし