いま、会社では野球チームをつくろうとメンバーを集めています。
終業時間になるとメンバーはキャッチボールを楽しそうにしています。
キャッチボールを見ているといろんな思い出がよみがえります。
我が家は父が高校時代に、今の中日にあたる球団からスカウトが来るほどのサウスポーのピッチャーで地元や千葉県でもそこそこ有名な選手だったそうです。
その関係で、私がものごころついた頃には、父と兄たち(長男と次男)でよくキャッチボールをしていました。
私はと言えば、廊下からその姿をただ見るだけの状態でした。
どう考えても私にはできない事を楽しそうにしていると、してみたくてたまりませんでした。
小学生になるとビニールボールでプラスチックのバットを使い道路で野球をみんなで遊ぶ様になりました。
そこで、みんなが私でも遊べるように、私の打席は下投げにしてくれて、楽しませてくれるようになりました。
私も楽しくて、みんなと同じ球技が出来る事に喜びを感じていました。
あの頃は地域の子供たちが一緒になって遊び、ちゃんと上の子が下の子の面倒を見ると言う、とてものんびりした時代でした。
中学になって、学年のクラス対抗ソフトボール大会が、あった時には、みんなが考えた私の守備は、なんと「キャッチャー」でした。
なんで、私がキャッチャーなのかと思ったら、全部打たせる球を投げて、私は座っているだけでも大丈夫な様にと考えてくれました。
でも、それではみんなに悪いし、やるからには私もちゃんとやりたいと思って、小学生時代に少年野球でキャッチャーをやっていた親友に頼んで部活が終わってから、キャッチャーの練習をしました。
最初は下投げのゴロから初めて、下投げになって、そして少しずつ普通に投げる球を受ける練習をしました。
もちろん防具なんてないので、失敗すれば顔面に球が当たった事も何度もありました。
でも、私を「補欠」でなく、ちゃんと「レギュラー」として出させてくれるみんなの気持ちに答えたくて夜になるまで大会までの毎日練習をしました。
そして、試合になってやはり、いくら打たせると言っても球が私に来る事が何度かあり、その度に体全体で受け止めました。
結局最後まで、ちゃんと取れなかったけど、それでも私には一生忘れる事の出来ないみんなとの思い出ができました。
まぶしい草野球 (松任谷由実)
http://jp.youtube.com
終業時間になるとメンバーはキャッチボールを楽しそうにしています。
キャッチボールを見ているといろんな思い出がよみがえります。
我が家は父が高校時代に、今の中日にあたる球団からスカウトが来るほどのサウスポーのピッチャーで地元や千葉県でもそこそこ有名な選手だったそうです。
その関係で、私がものごころついた頃には、父と兄たち(長男と次男)でよくキャッチボールをしていました。
私はと言えば、廊下からその姿をただ見るだけの状態でした。
どう考えても私にはできない事を楽しそうにしていると、してみたくてたまりませんでした。
小学生になるとビニールボールでプラスチックのバットを使い道路で野球をみんなで遊ぶ様になりました。
そこで、みんなが私でも遊べるように、私の打席は下投げにしてくれて、楽しませてくれるようになりました。
私も楽しくて、みんなと同じ球技が出来る事に喜びを感じていました。
あの頃は地域の子供たちが一緒になって遊び、ちゃんと上の子が下の子の面倒を見ると言う、とてものんびりした時代でした。
中学になって、学年のクラス対抗ソフトボール大会が、あった時には、みんなが考えた私の守備は、なんと「キャッチャー」でした。
なんで、私がキャッチャーなのかと思ったら、全部打たせる球を投げて、私は座っているだけでも大丈夫な様にと考えてくれました。
でも、それではみんなに悪いし、やるからには私もちゃんとやりたいと思って、小学生時代に少年野球でキャッチャーをやっていた親友に頼んで部活が終わってから、キャッチャーの練習をしました。
最初は下投げのゴロから初めて、下投げになって、そして少しずつ普通に投げる球を受ける練習をしました。
もちろん防具なんてないので、失敗すれば顔面に球が当たった事も何度もありました。
でも、私を「補欠」でなく、ちゃんと「レギュラー」として出させてくれるみんなの気持ちに答えたくて夜になるまで大会までの毎日練習をしました。
そして、試合になってやはり、いくら打たせると言っても球が私に来る事が何度かあり、その度に体全体で受け止めました。
結局最後まで、ちゃんと取れなかったけど、それでも私には一生忘れる事の出来ないみんなとの思い出ができました。
まぶしい草野球 (松任谷由実)
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