この記事で
綺麗事とも言える内容を書いた。
(それは取り繕ったものではない。間違いなく、そのときの自分から湧き出た本音)
そしたら、
やはり…
翌日、反動が来た。
シラけたような虚しい気分。
きれいごと言っちゃってバカじゃないの、
そんなものは真実じゃないよ、気のせいだよ、と。
何しろ、嫌な感覚。
そんな綺麗なもんじゃないよ
父は昔も今も“害”でしかないでしょ
あなたはそこ(親から来る しがらみ、泥沼)
から抜けられはしないよ
ほら、その証拠に今日も、
あんなに不快な態度を見せられたでしょ
みたいに、ね。
でも、いまの私は、これが何なのか
気づくことができる。
これは
変化の前の、抵抗。
変化を恐れ 今まで通りでいようとする、抵抗
変化させないための、抵抗。
そして
この不快な重さは
わたし個人のモノではなく
人類全体に横たわるネガティヴ。
順調に進んでいるからこそ
変化しかけているからこそ起きる、抵抗。
ここで絶望的な気持ちに絡め取られなければ
(その手に乗らなければ)
大丈夫。
この重さ、この不快さを自分から切り離す。
私のものではない、
私と繋がるものではない、から。
そうやってたら、抜けられたよ。