ひとつ前の記事を書いて
自分なりに、分かったことがある。
結局ぜーんぶ愛から起こっていた。
悪なんてどこにも無かった。
いろんな方向への愛が絡まって
混線していただけ。
…
愛って、なんなのか?
シンプルに言えば
大切にしてあげたい気持ち✨だ。
…
私の父は、
家族への言動はともかくとして
働き、お金を稼ぎ、家族を養った。
仕事のストレスを家でぶちまけながらも
とにかく子供3人を育てるのに必要なだけ稼いでくれた。
それは自覚していようがしてなかろうが
家族への愛がなければ出来なかっただろう。
当時の価値観で言う「ちゃんとした社会人・ちゃんとした家庭人でありたい願望」を叶えるという、自分への愛でもあっただろう。
母は
父の特性には気づいていなかったと思うけど
とにかく父の機嫌を損ねないように
父が喜ぶように努めていた母の言動は
(当時の一般的な“できる妻”を目指す価値観からだったとしても)
そこには父への愛はあっただろう。
また、良い妻でありたい願望を叶えるという母自身への愛があっただろう。
私が
父の機嫌を損ねてはいけないと習得し、
眉の動き一つにも敏感になったのも
見えないものを重要視したいという自分の感覚を抑えようとしていたのも
父と、家族と、自分の、心の平安を守りたい
という愛からだった。
兄が
父の機嫌を損ねるとわかっていても激突しまくっていたのは、自分を尊重したいという自分への愛だっただろうし
父から可愛がられたかった、という幼い頃の感情の現れ(親への愛)でもあっただろう。
父に怯えて自分を抑えつづけている私への、見せたい姿だったのかもしれない。
弟は、
彼の言動は分かりやすく、すべて家族への愛に満ちていた。(それ故、自分への愛を後回しにし過ぎていたかもしれない)
なーんだ、そうだったのか✨
悪なんてどこにもなかった。
前にも似たようなことは思ったことがあるけど
さらに一歩、理解がすすんだ感覚があって
ハッピーであります。
わたしは、自分の成分的に
『広く伝えたい人』ではない。
だから広く伝えようとする活動は
自分の中に抵抗が起こる。
が、だれか1人にでも伝わることは
やはり望んでいると思う。
こんな、ちょっと分かりにくい文章でも
届く相手には(必要なひとには)届くはず。