を読んでいて思い出した、遠い昔の記憶。
わたしが物心ついた頃、3歳くらい?
引っ越したばかりの新しい家。
毎朝、父が会社へ出掛けるときの声掛けは
『いってらっしゃい、早く帰ってきてね』
母から、そう言うんだよと教わって
セリフ的に丸ごと覚えて言っていた。
幼い子供から
たどたどしくそんなふうに言われるのは
さぞ可愛かったろう。
思い出したのは
「早く帰ってきてほしい」なんて
別に思っていなかった自分の感情。
教わったとおりに言っているだけだった。
そしてもう1つの場面。
同じ頃、父の会社の休日行事(運動会か何か)に家族で参加した記憶。
父が、同僚に私たち子供を紹介しながら
「朝いつも『はやく帰って来てね』と言われるんだ」と嬉しそうに話していた場面。
…
わたしの育った家庭の構図が
この記憶の中にある。
わるい思い出ではないけど
複雑な気持ちになる。
…
家族の喜ぶことをしたい母。
父の喜びそうなことをしたい母。
このとき父も母も幸せだったのだろうし
母は、愛情ゆえの行動だっただろう。
あの言動をする父に懐きなさい、だなんて
無理があるのにね。
大人になってからも、母から
『もうすぐ父の日だから
子供達でお小遣い出し合って
◯◯をプレゼントすると良いよ』
とか助言され、断った記憶がある。
母は、そういう人。
子供をコントロールしてるとか利用してることに
全く無自覚だったろう。
私が、その変さに気付いたのも
ずっと後になってからだ。
(この辺りのことは
何周にもわたって恨みつらみを吐き出してきて
今はもう私の中で消化できているようだ。
ホッ。)
…
ひとの感情って何なんだろう…と思う。
ほかの誰かの意図で、つくられるようなもの?
案外、そんな側面もあるよね。
…
親が、子に教えたほうがいいことの一つが
『自分の機嫌は自分で取れるということ』
だと
つい数年前に何かで読んで
本当にその通りだと思った。
母は、この逆を
感情コントロールが苦手な父に対して
やり続けてしまったのだなと
腑に落ちた。
何度も言うけど、愛情ゆえに、ね。
父は
当時の“理想的な家族像”に沿うように
(母が求める家族像に沿うように)
必死に生きてきたのだろう。
全く自分には適性がない仕事をして無理し続けて。
無理した分のストレスは家族にぶつけ、
家族から機嫌を取ってもらいながら。
父は「自分の機嫌は自分で取れる」と
知らないままに生きてきた。
その人生は
とんでもなく不自由だろう。
そういう私も、
自分の機嫌をうまく取れるようになってきたのは
ここ数年のことだ。
…
人生は
単純ではないね
ひと1人だけ見ればシンプルであっても
人と人が、絡み合って生きているから
そりゃ
ややこしい事も起きる
ややこしいのが
人ってもの
でも
そのややこしさも含めて
人って愛おしい、
と思って生きたい
前より少し
その境地に近づいている気がする
今日みた空
