考えること
ブログよりも「なう」で呟く頻度が非常に高い私ですが、
今日は気になった映画から、普段思っている事を話せたらと思います
まだ観ていないので、観たらまた感想を書きますね
映画のタイトルは 『 ちいさな哲学者たち 』
フランスの幼稚園で試みた「子供たちとの哲学の時間」だそうです
「 考える事 」
って、大事よね
「自分自身が感じた事 」
って、大事よね
今の日本に住む私達って、小さい頃から、
「これはこうである」 とか 「これはこういうもの」 とか 「こうするべき」 だとか、
いつの間にか環境やらに刷り込みされている
逆を言うと、そうでない思考を持つ者は、社会から除外されたり、「変わりもの」扱いされる
それがいけないことだと思い込み、はみ出す事を恐れ、思考にストップを掛ける
それは多大な偽りの情報にも操られる危険があり
それは組織を膨大させる
人間は地球から産まれました
もっと遡ると、46億年前に地球が誕生し、その5億年後に陸と海が形成され
人類の祖先が誕生したのは500万年前だそうです
そして現在、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会へ移行し、
重大な地球環境エネルギー問題を抱えている
柄にもなく、堅い話をしてしまったけど
それが映画と何が関係あるのかと思われる方もいらっしゃるかと思うけど
以前書いたブログ→https://ameblo.jp/shirokuma-rock/entry-10990973836.html
もっと考えていいんじゃないかと思うの
右に倣え(多勢に従う、声の大きな者に従う、無批判に従う)、自分で考えた結果がそうであれば問題ないと
思うけど、無意識にそうしている事ってないだろうか
ちょっとゲームをしてみます
「 自然 」 と聞いて、何をイメージしますか?
では、その「 自然 」 とは、どのような状態をいいますか?
その状態は、どうやって保たれていますか?
「 自然 」 は、どのような営みをしていますか?
「 自然 」 に触れて、どんな気持ちになりますか?
では、今度はその 「 自然 」 を、「 自分 」に置き換えて、↑上の問題をもう一度考えてみてください
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「 自然 」 は、あるがまま
「 自然 」 は、偽らない
「 自然 」 は、人間を陥れたりしない
「 自然 」 は、誇りを持って、他の生物と共存している
「 自然 」 は、宇宙の法則の元、ただただ自分を生きている
植物だって土や気候が合わない環境があるさ
動物だって、住めない地帯や合わない環境がある
それで植物や動物同士の戦争は起きないし、略奪もない
( 人間が環境破壊することによって、やむなく生態の変化が起こる生物もいるけれど )
本来、人間には、自分を生きる事が出来る
そして、人類の祖先が誕生した500万年前にまで戻るとは言わないけれど、
人間には「野性の直感」があり、「感じる事」が出来る
そして人間にも自然にも宇宙にも 「愛」 が ある
「 右に倣え 」 は、ちょっと横に置いといて、
「自分引き出し 」 開けてみませんか?