令和6年6月22日(土)、白井市文化会館中ホールで開催された「千葉氏と妙見信仰について」を聴講しました。

講師の鈴木佐氏は千葉県の職員で千葉氏研究家。全国の千葉氏縁の遺跡や歴史や伝承を長年にわたって調査研究されいる方で、調査は千葉氏が領地を拝領した全国各地に及ぶそうです。

 

序盤、「妙見信仰とは何か?」のところで、「妙見信仰はよくわからない。」との発言がありました。長年に渡って千葉氏を研究されてこられた方が「妙見信仰がわからない」とはいったいどういうことかと疑問に思いましたが、それは、妙見信仰は中央アジア周辺で発生した星への信仰が起源で、信仰が世界各地に広まる中で、中国では「道教」と習合し、日本に伝来してからも「八幡信仰」や「祇園信仰」等様々な信仰と習合したため、その時代時代で「進化した神」であったことから、時代ごとに様々に変化した信仰であったからであるとブログ管理人は理解しました。

 

日本への伝来時期は飛鳥時代まで遡るようですが、ここでは千葉氏の信仰に話を進めたいので割愛します。

千葉氏による妙見信仰の中心地は千葉市にある「北斗山金剛授寺尊光院」で、現在は「千葉神社」となっています。千葉氏関係者により創作されたとされる『源平闘諍録』では平良文が妙見菩薩の加護を受けたという伝承や千葉常胤の孫である千葉成胤が源頼朝の挙兵の際に下総国の目代・千田親正と交戦した際に妙見菩薩の加護を受けたという伝承がありますが、千葉氏の妙見信仰は、千葉妙見説話の成立時期が鎌倉時代中期の宝治合戦以後の可能性があることから、千葉氏が下総千葉氏と上総千葉氏に分立した際、下総千葉氏の立て直しと一族の結束を図る目的で創り出された可能性があることを述べられていました。

 

というのも、房総での妙見信仰の起こりについては、上野国(群馬県)群馬郡にある妙見寺から伝来したという説や、下総国の一宮である香取神宮の「星鎮祭」等の存在から房総では既に古代から妙見信仰が存在した可能性もあるからとのことです。

 

ただ、千葉氏が全国に所領を持つようになったこともあり、千葉氏による妙見信仰を受け継ぐ信仰や祭礼は、福島県の相馬野馬追、岩手県奥州市の妙見山黒石寺の蘇民祭、長野県上田市の妙見寺、岐阜県郡上市の明建神社、大分県宇佐市の宇佐神宮(在地にあった妙見社を千葉氏が信仰)等、全国的な広がりを見せているとのことで、これが講師の鈴木佐氏が調査で全国各地を訪ね歩いておられることに繋がっているそうですので、千葉氏の妙見信仰が様々な形態で全国各地に広がり、今も行われているということを改めて認識した講演会でした。

 

なお、きちんとした聴講録にはなっていませんので、まずは鈴木佐氏の著作『千葉一族の歴史 全国に広がる系譜・史跡・伝承』を読んでみたいと思います。