前回「百庚申」のなかの「多石百庚申」を紹介しましたので、今回は「一石百庚申」を紹介することとします。

石塔を100基建てる「多石百庚申」とは異なり、石塔1基で庚申塔100基分のご利益を祈願するものです。

 

「一石百庚申」は、房総石造文化財研究会の蕨由美氏の調査によると北総地域には11基あるとのことで、その内訳は野田市2基(東金野井・中里)、柏市1基(布施)、白井市1基(復(法目))、印西市2基(松崎に2基)、八千代市2基(麦丸・桑橋)、匝瑳市1基(高野)、東庄町1基(小貝野向地)、銚子市1基(高神原町)となっています。

建てられた年代は、こちらも蕨氏の調査により「一石百庚申」の方が、「多石百庚申」よりも相対的に古いものが多いと確認されています。

 

「多石百庚申」も「一石百庚申」も、無病息災や健康長寿の祈りがより通じるようにするという建てる目的は同じだと思いますが、建てるまでの期間、金額、場所の選定等、どれをとっても大きく異なります。●〇な場合は「多石百庚申」を、▲△な場合は「一石百庚申」を建てる等、何らかの違いがあったのでしょうか。

 

白井市域唯一の「一石百庚申」は法目地区の「八幡神社脇庚申塚」にあります。所在場所が「庚申塚」と名前が付いていることが物語るように、八幡神社の鳥居の脇に並んでいる「庚申塔」10基のうちの一つで、文化13(1816)年に建てられたもので、高さは54㎝と小さなサイズです。

 

【参考文献】

蕨由美 2017「印西市域と北総の「百庚申」について-最近の調査と知見から-」 『房総の石仏』第26号 房総石造文化財研究会

 

1701sekibutu26text.pdf (la9.jp)

 

八幡神社脇庚申塚(右端が「一石百庚申」)

 

一石百庚申(天保13(1816)年)