先日、佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行き、第4展示室(民俗)特集展示『四国遍路・文化遺産へのみちゆき』を見学してきました。

 

白井市には、このブログでも以前紹介しましたとおり、35.48㎡という狭い行政面積の中に5つもの新四国霊場があります(活動休止・解散したものもを含みます。記事は令和4年度白井市郷土資料館企画展「新四国巡礼~人々の祈りの旅~」を参照)。

新四国霊場とは、文字どおり四国八十八ヶ所巡礼を各地に写したもので、「写し霊場」や「新四国霊場」、「准四国霊場」等と呼ばれています。また、巡礼する範囲・期間も複数の自治体に設置された札所を複数日かけて巡るものから1寺院の境内に設置された札所を1日で巡礼して完結するものまで、実にバラエティーに富んでいます。

こうした新四国霊場が成立するもととなる四国八十八ヶ所巡礼の成り立ちや現在までの流れを辿ったのが今回の特集展示でした。

 

四国八十八ヶ所巡礼は真言宗の宗祖である弘法大師空海が設置したものと伝えられています。

しかしながら、現在一般的に知られる88ヶ所の霊場を巡礼するスタイルは江戸時代に定まったもので、これは現存する『四国遍路道指南』が17世紀末の貞享4(1687)年に著されたものであることや四国遍路の絵図で最古のものが宝暦13(1763)年のものであること等、史料の成立年代から推定されています。

また、現在は一般的な「南無大師遍照金剛」と記された白装束を着て巡礼するスタイルは、第二次大戦後に普及したこともわかってきたほか、交通網の発達と共に電車やバスで巡礼するスタイルも盛んになり、巡礼期間の大幅な短縮により、巡礼が庶民にとってより身近な存在となったことも大きな変化といってよいでしょう。

 

そして現在、四国八十八ヶ所巡礼を世界遺産にしようという運動が起こっています。その中心となって活動しているのが愛媛大学(愛媛県)にある「四国遍路・世界の巡礼研究センター」です。研究センターでは、四国八十八ヶ所巡礼の歩みや現代のあり方の実態について調査研究を進めていますが、本場の四国八十八ヶ所巡礼だけでなく、日本各地に広がった「新四国霊場」の実態の把握も行っていくとのことで、このことは白井市周辺にとっても重要となってくると思います。

「新四国霊場」については地域研究は進んでいますが、地域研究であるが故にそれを全国的・総括的にまとめた資料がないそうです。

白井市周辺の「新四国霊場」についても、「四国遍路・世界の巡礼研究センター」の方々の手で実態調査が進められることでしょう。

いったい、全国に「新四国霊場」はどのくらいあるのでしょうか。

 

【愛媛大学 四国遍路・世界の巡礼研究センターHP】

愛媛大学 四国遍路・世界の巡礼研究センター (ehime-u.ac.jp)

 

特集展示案内(展示室内は撮影禁止でした)

 

「四国遍路を世界遺産に」ポスター

 

『南無大師遍照金剛 

順道里程盒里二十三丁三十一間 

准四国八十八ヶ所写』(部分)

明治16(1883)年